初期のドラゴンボール。ピッコロとの闘いを見て感じた矛盾点。

つい先日、久々に初期のドラゴンボールを見て懐かしくなった。アニメや映画の良い所って当時の自分を思い出せるという事もありますよね。子供の頃は、純粋に楽しめてたはずなのに大人になると何か矛盾点とか見つけてしまう自分が悲しくなったりしますw

ドラゴンボール初期。ピッコロとの闘いで感じた矛盾点。

初期のドラゴンボールは、時代背景と自分自身が子供だった事もあったからか何か見ててワクワクした記憶があります。

主人公の孫悟空が、次から次へと現れる強敵を倒して、さらに修行をしながらどんどん強くなっていくストーリーに当時多くの子供達がドラゴンボールの虜になりました。

今では間違いなくコンプライアンスに引っ掛かるシーンも多数ありましたが、そこも時代の良さだったと言えます。

かなり自由に表現が許された時代だったことが余計ドラゴンボールの面白さを高めたとも言えます。

また作者が同じだから出来たのでしょうけど、別アニメのドクタースランプあられちゃんも登場してみたりとファンなら歓喜するレベルの演出も最高でした。

初期のドラゴンボールは、主人公の成長していく様が伝わりやすく、早く次の回が見たくてたまらなかった印象があります。

フリーザ編くらいになると、どうしてもスピードとか闘いの規模が大きくなりすぎて、漫画にしてもアニメにしても表現が難しくなってしまったと思います。もちろん、面白いことに変わりはないのですが、簡単に言うと完全に現実離れした感。

もちろん、最初から現実離れはしてる話なのですが、理解の範囲から飛び出してしまったという感覚?うーん言葉で上手く表現できないw

まあそれはさておき、久々に大人になって初期のドラゴンボールを見たわけです。

悟空VSピッコロとの闘いで感じた矛盾点。

まあ初期は特に後で見ると色々なシーンで矛盾点があるのですが、そんな中で上げるのはピッコロとの闘いでのシーン。

まず1、武天老師こと亀仙人のまふうばに関して、天津飯を気絶させなかったら、しっかり炊飯器を開けて置くことが出来たはず。

2、天津飯が不意打ちとはいえ、亀仙人の一撃で気絶して動けなくなるだろうか。

3、亀仙人が仮にまふうばを成功させたとしても、亀仙人が倒れてしまえば、その後ピッコロが生んだ部下に簡単に炊飯器を開けられてしまう。

4、武泰斗様の時もピッコロは封じ込めたとはいえ、生んだ部下が沢山いたはず、それらはどうなったのだろう。

5、悟空とピッコロの戦いで、片腕しか使えない悟空が最後ピッコロに向かっていくわけですが、直線的な動きしか出来ない悟空の攻撃なら、簡単にピッコロはよけることが出来ただろう。

ドラゴンボールは何も考えずただ楽しんだ方がいい

ドラゴンボールではなく他のアニメでも何でも、矛盾点を感じる事はあると思いますが、あまりそういう事をし過ぎてしまうと純粋に楽しめなくなるので、ある意味思考停止してワクワクして見る方がいいですね。

それとギチギチに矛盾点を0レベルにまでしたアニメは、多分見ててつまらないのかもしれません。少しくらいツッコミどころのある方が面白いのかもしれませんね。

異性でもそうですよね。完璧すぎる人って近づきずらいですし、少し間の抜けたくらいの感じの人の方が自分もホッとできますよね。

矛盾点を突っ込んでおきながら、何言ってると思われるかもしれませんが、まあそんな感じですw

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