25年の地獄から生還!ただのオジサンが語る「うつ病克服と幸せへの道」

25年の地獄から生還!ただのオジサンが語る「うつ病克服と幸せへの道」💡

皆さん、初めまして。僕は今48歳、何の変哲もないただのオジサンです。 でも、このオジサンには、ちょっと普通じゃない過去があります。ニックネームはマルにします。

なんと、25年間もの間、うつ病という精神の病に苦しみ続けてきました。

25年間のうつ病生活は、正直、「この世の地獄」かと思うくらい本当にキツかった。よくここまで生きて来られたなと、自分でも信じられないくらい、それはもう壮絶な心との戦いのような時間でした。


勇気を出して、胸の内をすべて話します

これから、僕がこれまで体験してきた心の痛み、そしてその辛さから起こした経験談を、本気で語りたいと思います。

こんな胸の内を全てさらけ出すなんて、すごく恥ずかしいし、自分の中ではとても勇気のいることでした。それでも、この話をどうしても伝えたい。残したいと思って話すことに決めました。

これは単なる不幸話とは違います。中には「自業自得だ」と思う人もいるかもしれませんが、僕が伝えたいのは、そこじゃありません。

これから相当長い話をしますが、僕の人生のすべて、そして「生きる」ということへの最も大事で大切なこと、きっとこれを聞いてくれた誰かの心に何か響くものがあるという確信を持って、本気で、本気で話します。

48年の人生で、一番自分の人生を賭けて学んだマジの話です。

長〜い前置きで申し訳ないのですが、この話だけは、僕の決意を知ってもらいたいと思い、先にさせていただきました。


コミュ力ほぼ皆無、檻の中で過ごした25年

正直語り上手でもないので、聞きづらいかもしれません。

なんせ25年のうつ病生活で人と関わるのが苦手になり、コミュ力はほぼ皆無です😅

元々、人づきあいは上手ではありませんでしたが、20代、30代という人間としてもっとも輝ける時間を全て棒に振って、うつ病という心の病と付き合ってきました。

年齢=恋人いない歴。海外旅行の経験も一切なく、まるで自ら檻の中に飛び込んだような25年。

だから、これから話していくことも、ひたすら自分語りになるので、うまく言葉になっていない部分もあるかもしれません。でも、真剣に話します

最初はAIで作成してもいいかなとも思ったのですが、自分の人生を語るのに、やっぱり自分の声で言葉で書かなかったら後で後悔すると思い、恥ずかしながらも自分の言葉で書くと決めました(上手く伝えきれてない部分があったらすみません💦)。

そして、本当に自分勝手なお願いなのですが、どうか、今から伝える僕の話を一対一の人間として僕と向き合っているような感覚で読んでもらえると、とても嬉しいです😊


うつ病は「甘え」「心が弱い人がなるもの」だと思っていた頃

僕がうつ病になったのは、今から25年前、22、3歳の頃でした。

当時はまだうつ病に対して、どちらかと言えば偏見的な見方が多かったです。「うつ病」という言葉がようやく出てきたような時代でしたから。

なので、「うつ病は甘えだ」「心が弱い人がなるものだ」「仮病だ」といったような認識が大半で、実は自分自身もそのように思っていました

ところが、そんな自分がうつ病になったわけです。ホント、あの時は苦しかったです…。

僕の簡単な経歴・・20歳までずっと地元で育ち、そこから出たことはなかったのですが、初めて正社員となった就職先が他県だったので、生まれて初めて地元を離れての生活、一人暮らしが始まりました。

初めての一人暮らしは、ホントに嬉しかったですね!ようやく一人だけの自由な時間。全て自分だけの時間。この開放感とハタチという若さもあり、さらに地元から離れて見たこともない景色の中で生活することが凄く新鮮でワクワクしていました。

で、実際楽しかったわけですが、なぜかそれから2年も経たないうちに、気づいたら無気力状態になっていました。何をしても楽しくない。仕事をしていても気力が湧いて来ない。友達や仲の良い同僚と遊んでいても、楽しいは楽しいのですが、何かいつも心に引っかかるものを感じていました。

そして、その気持ちがどんどん大きくなると、なぜか人生を辞めたいって思うようになったんです。訳もなく生きるのが辛い


追い詰められていった僕と、優しい上司

自分でもこの状況はダメだと思って、新しい趣味を持ったり、異性の友達を作ったりもしたのですが、全く気持ちは変わりませんでした。

で、そのうち仕事でも注意力が衰えてミスをするようになり、先輩や上司に怒られて、ますます自分の生きる価値を見失っていきました

「なんで、こんなミスしてるんだ!ホント情けない。何やってるんだ僕は!」と何度も何度も自分を責め続けていました。この時はもう既にうつ病になっていたんだと思います。でも、うつ病と分からなかったので、とにかく毎日やってくる感情の波が辛かったのは覚えています。

「このままではいけない。もっと頑張らないと。こんなカッコ悪い自分は誰にも見せたくない、知られたくない」って心の中でずっと思っていました。僕はこんなもんじゃないはずだ、こんな弱い人間ではない

でも、そう思えば思うほど、胸が苦しくなりました。

そして、ついに大きなミスをやらかしました。取引のある会社さんにもかなり迷惑をかけてしまい、上司と一社一社回ってひたすら謝り続けました。

僕の心はもうグラグラに揺れていました。自分への怒りや憎しみ、悲しみなど、いろんな感情がぐるぐる回ってたと思います。上司にも職場の人達にも何度も謝り、もはや自己肯定感ゼロ。いや、マイナスですよね。

でも、なぜか上司は全く怒らず、「今日の夜仕事終わったら、飯に行こう」って誘ってくれたんです。

その店でも僕はひたすら謝っていたのですが、上司は「まあ生きてれば人間色々あるし、こういう辛い経験も乗り越えてこそ人生だから。だから、あまり落ち込み過ぎず、前を向いて頑張ろう」と言ってくれ、感極まって泣いてしまいました。

その上司の優しさと、こんな自分を応援してくれているって気持ちが伝わって来て、僕は…そう、歯を食いしばって頑張ってしまったわけです。


涙の決意と、まさかの昇進試験合格

それで何が起きたかというと、1か月後、僕はその日自分が何をしていたか全く意識がなかったんですね。もちろん仕事には行ったはずなんですけど、気づいたら首が苦しかったので、その時はっと我に返って見たら、首にロープが掛かってて、真っ暗なアパートの自分の部屋で、ドアノブにロープがグルグル巻かれてたんですね…。

自然と涙が出ていました。そして、同時に過去を思い出していました

それは、僕が高校三年生の時、母親がガンで亡くなった日のこと。僕は涙が止まらず号泣したんです。今までの母親との思い出が走馬灯のように流れてきて、言葉に表せない程苦しくて、親孝行出来なかった自分が情けなくて…。

それでも、母親に「これまで一生懸命僕を生んで育ててくれてありがとう」って言って、「母ちゃんに出来なかった親孝行、必ず親父にするから。そして母ちゃんの分まで強く生きるから天国で見てて欲しい」って心に誓ったんですよね。

でも、ここまで何とか自分なりに必死で頑張って、それなりに良い仕事について親父にも生まれて初めて褒められたけど、「もう無理だ。これ以上は…。親より先にいく人生だけは出来ないから、仕事を辞めるのを許して欲しい」って、自分しかいない部屋で言っていました。

それから、気づいたら泣きながら寝てて朝になっていました。

ちょうどその日は仕事が休みの日だったので、もう恥ずかしいとかカッコ悪いなんて言っている場合ではないと、そのまま心療内科に行きました。

それで先生に今までの経緯を話すと、「完全にうつ病です」と言われ、なんか逆にホッとしましたね。

でも、「今の状態はかなり危険なのでしばらく入院してください」と言われ、そのまま先生の指示に従うことにしました。

自宅に戻り、着替えとか一式揃えて、車で職場に行き、診断書を持って上司に報告しました。凄く顔も合わせ辛かったし、一番言いたくない相手でもあったんですけど、しょうがないですよね。

それでもやっぱり上司はずっといい人で、話を全部聞いてくれて、「俺もマル(僕)を追い詰めてしまってたのかもな、すまなかった」って謝られた時は、心が痛くて…もう痛すぎて何も返答できませんでした。

その後、会社から出て車に戻ろうと歩いていたんですが、突然後ろから「マルくーん」と僕を呼ぶ声がしたので、振り向くと総務課の先輩が立ってたんです。凄いニコニコして近づいてきて、「マルくん、おめでとう」って言うんです。

一体何があったのかと僕が思っていると、先輩が「いやー、よく頑張ったね。昇進の一次試験受かったよ」と肩を叩いてきて、テンションが向こうだけやたら高いわけです。

でも、僕は心の中で「何でだよ、何でだよ」ってずっと思いながらも、無理して作り笑いしてるんです。

「何でこのタイミングでこんなことが…。神様、酷過ぎないですか?僕が何かしたんですか?」って、とても言わずにはいられないくらい、そんな気持ちでしたね。昨日は人生半分諦めたくらいで、「ただ生きてればいい」って思ってたはずなのに、まだ心をえぐられる感覚を味合わないといけないのかって思いました。

その後しばらくしてその総務課の先輩に会いましたけど、何かもう・・よそよそしくて腫物を扱うような感じでした。まあ、自分が悪いのでしょうがないと割り切りましたけど…。


地獄の入り口と200万円の自己啓発ローン

とにかくその後入院したことで薬の効果もあってか、だいぶ自〇したいって気持ちは収まりましたし、とりあえず生きてる事くらいは出来るかって思えるようになりました。

でも、やっぱり仕事はもう続けられないかなとは思いました。それで一応先輩や上司に相談したのですが、案の定、皆から止められましたね。「こんないい仕事は今のご時世なかなか無いんだから、辞めるなんて勿体ない。今は辛いかもしれないけど、しがみついてでも辞めない方が良い」ともれなく全員から言われました。

友達には相談出来なかった。カッコ悪い自分を見せたくなかったし、その仕事に就いた時、結構得意げに話したりしてしまったこともあって…まあ、自慢みたいな話ですよね。だから、尚更カッコ悪いじゃないですか…。逆に僕は「もっと高い存在になれる」なんて事言ってたくらいだったので、自分でハードル上げ捲ってたんですよ。友達の間でも、僕は勝手に優劣とかつけてたんだと思います。

まあそんなこんなで、結局それから辞めるまで3年間かかりました。でも、25歳でついに限界が来て、親父にも申し訳ないと土下座して謝り、仕事を辞めました。

辞めたら開放感みたいなのが一気にやってきて、うつ病も一瞬治った感じがしました。

それから僕は、働いていた会社の県でも地元でもなく、別の場所に住むことにしました。地元に帰ったら「負けて帰ってきた」と思われるのが嫌だったのが一番ありました。

で、ようやくあの苦しみから逃れられて、これからは精神的に楽になると思ってたんですけど、実際はここからが本当の地獄の始まりでした。まだ入り口みたいなところにいたなんて、当時の僕は知るわけもありません。


騙されやすくなる心とギャンブル依存

僕はアパートを探し住むことになったのですが、いくらかの貯金と退職金があったので、「3か月くらいはゆっくりしながら仕事を探そう」と思ってました。

ところが、すっかり忘れていたことがあって、それは自己啓発の教材のローン。うつ病になり、悩み葛藤する中で何とか自分を変えたいと思い、僕は自己啓発本を読んでいたのですが、その教材の紹介があり、電話すると、「あなたは特別な存在」「選ばれた人」「やるべき運命にある」とか、僕のモチベーションが上がるような言葉をどんどん言われて、気づいたら200万円くらいの教材を買ってました。

このローンはボーナス払いの月もあったので、計算した結果、3か月もゆっくり出来ないことが分かり、慌てて職探しをしました。

で、問題の教材なんですが、ほぼやりませんでした。やればやるほどメンタルが悪化したので、辞めてしまいました。

うつ病の時って、簡単に人の甘い言葉に騙されやすくなります。なぜなら、自分に自信がなく常に不安な状態だから。だから、そういう時に誰かに強く言われたり、自信満々に言われると簡単に信じてしまうということがあります。それと、どこか心の中で助けや救いを求めてしまう傾向もあります。分かる人は分かりますよね?だから、何かにすがりたくて神や宗教に妄信してしまう人もいる。自分がその気持ちになったから、そういう心が理解できるようになりました。

話が少し逸れましたね。そこから正社員の仕事を探すわけですが、どこも面接で前の仕事の経歴と辞めた理由などを深く聞かれるんです。それで毎回返答に戸惑うということを繰り返した結果、不採用。段々心が折れかかって来て、またうつ病の症状が現れ始めたので、やっぱり出来るだけ人と関わらず、夜人が寝静まった時間に働ける仕事がいいと思い始め、夜間清掃の仕事に就くことに決めました。

対人恐怖症にもなっていたので、面接では挙動不審で怪しかったらしいんですが、面接担当の上司がとても良い人で採用していただきました。これで何とか飯は食えるなと安堵したのを覚えています。


傷のなめ合いが生んだ「悪循環」

新しい土地に来て、最初は気持ちが楽でした。誰も僕という存在を知らない土地に来て、しがらみなどから抜け出せた感は凄くありました。これは例えるなら旅行に似た感じです。ただ、今だけを見て生きている。これが僕としては本当に嬉しかったのだと思います。

でも、それは長くは続きませんでした。

諦めたはずの人生、「とりあえず生きていればいいか」という考えも、なぜか夢の中で頻繁に出てくるのは前の仕事をしている自分で、その夢を見るたび苦しい気持ちになりました。後悔していないはずなのに、それから10年以上もそんな夢を見る事になります。やっぱり後悔執着心はあったのだと思います。

そこから今の自分を見て、また自己嫌悪に陥る。こうしてジワジワとまた精神がやられていき、自〇願望が訪れ始めました

そんな時に出会ったのが、新しく職場に入ってきたAさんという男性でした。Aさんは僕よりも5つほど年上だったのですが、かなり早い段階で僕はAさんと打ち解けました。おそらく同じニオイみたいなのがあったのかもしれません。

Aさんも以前とても良い仕事をしていたのですが、訳があって辞めてしまったこと、そしていつかまたその仕事に就きたいという思いなどがあり、少しだけですが似たようなネガティブな気持ちがあり、お互いに親近感を覚えたのかもしれません。

なので、良くお互いに悩みを打ち明けたり、遊んだりご飯を食べに行ったりもしました。そのおかげもあってか、僕のうつ病も以前ほど悪化する事はなく、この時期は上手く病気と付き合うことが出来ていたように思えます。

しかし、傷のなめ合いのような付き合いの部分もあったため、問題もありました。それはAさんがストレス発散のためにする行為としてのギャンブル他人への愚痴や悪口でした。

これまでそんな思いが無かった僕が、Aさんと長くいたことで同じような思考をするようになっていきました。それはストレスが溜まったら、一緒にギャンブルをして、負けたらご飯を食べながら、職場の同僚の愚痴や悪口が主でした。

そして、Aさんはこの悪口の天才というか、相手を面白おかしくディスるので、僕はそれが最初は酷いとは思いつつも、同時に楽しいとか面白いという風に段々思うようになっていきました。で、僕も同じように腹いせとして誰かの欠点などをあげつらって楽しむようなことをし出しました。なぜなら、それをすればするほど、Aさんが喜んでくれるし、自分も気持ち良かったからです。

自分が苦しいのだから、他の人に当たってもいいだろという感覚もありました。

こうして奇妙な形で繋がった関係でしたが、中身が中身だけに、そのうち腹の探り合いのようなことが起き始めます。

最初はAさんからの、「あのさーマル、もしかしてだけど、俺がいない時に陰で俺の文句や愚痴言ってないよね?」でした。

その後何度も何度も同じことを聞いてくるAさんに怒りがこみ上げてきて、半分キレ気味に文句をいった所、そこから関係がぎくしゃくし始めました。実際そこからお互い陰で別の同僚と、僕はAさんへの愚痴、Aさんは僕への愚痴を言うようになりました。

この時、自分がどんどん嫌な人間になりつつあることに気づいていましたが、「Aさんが悪いんだから原因はアイツだ」と考えて、辞めることはしませんでした。ある意味でストレスの発散にもなってたのでしょう。


依存症、借金、そして「未公開株詐欺」

そこで今度は職場だけの愚痴に収まらず、2ちゃんねるなどの掲示板に訪れては、同じように社会や自分に不満のある人たちが集まる場に行っては、同じように愚痴や悪口を書き込んでいました

人生が上手くいっている人や幸せそうな人に対しては、やたら厳しい時には汚い言葉でコメントを残したこともありました。

そんな時は、しばらくして冷静になると、また自己嫌悪に陥るのです。「なんて酷い自分なんだ。人の不幸を笑い、人の幸福をののしる。これが僕か?僕の姿はこっちがホンモノなのか?」などと、自分が何者かさえ分からなくなる時もありました

そして、僕は精神の辛さと今を見たくないために、現実逃避としてギャンブルにのめり込みます。常に心には恐怖と不安がありました。

「仕事を失ったらどうしよう」「対人恐怖、パニック障害、過呼吸がまた起きたらどうしよう」「自〇願望が止められなかったら」等々、とにかくネガティブ全開の気持ちで毎日を過ごしていました。

ギャンブルもたまには勝ちますが、それは当然続かず負ける事の方が大半です。負けた時の精神状態は、それはもう酷いとしか言いようがありません。モノに当たり、暴言を連発し、それだけに飽き足らず自分の身体に痛みを与えたりということもありました。また特に辛いのが自〇願望がとてつもなく大きくなることです。

もはや完全に依存症になって、借金までしてギャンブルにのめり込んでいました。それでも辞められない自分を激しく責め続けます。もう「誰か自分を終わらせてくれ」と、そんな風に思い、ベットでのたうち回るようなことも何度もありました。

うつ病、ギャンブル依存、借金、自〇願望、恐怖不安と、ネガティブ要素しかない世界観。僕にはもう希望がありませんでした。だから、狙うのはいつも一攫千金。「宝くじで高額当選すれば、この終わってるような人生からきっと逃れられる」と、そんなことばかり考えていました。起きるはずもない願望です。

そんな考えの自分にふさわしい出来事がやってきます。それが未公開株の情報でした。

僕は職場のバツイチ女性からある知り合いを紹介されました。その人は終始ニコニコしていて穏やかな口調。とても紳士で、丁寧にその未公開株を持っていることのメリットしかないことを教えてくれました。僕は完全に頭がお花畑になりました。「迷わず僕にもその話乗らせてください」って言っていました。

そして、持ち金がない僕は、限度額一杯のお金を消費者金融から借り、その男性に渡しました。

で、もうどうなったか分かりますよね?その男性とは1か月もしないうちに連絡が取れなくなりました。職場で働いていた女性に聞いても「知らない」の一点張りで、3か月後にはその女性も仕事を辞めて音信不通になりました。

僕はそこでようやく騙されたと分かったのでした。もう完全に詰みです。打つ手なしです。

こんな状況とても親には言えないし、見せられない。「結局終わるしかないのか」…僕は翌日仕事が休みの日を見計らって、ある決意をしました。


東日本大震災と「生きたい」という本心

その日僕は一人で深夜あてもなく車を走らせ、早朝に辿り着いた、ここがどこかさえ分からない山にただ登って行きました。「もう戻る事はない。サヨナラ…」そう思い歩いていると、なぜか登山をしていた二人の男性と会ってしまい、声をかけられました。

二人に促され、下山して「すみません」という声を絞り出すのが精一杯。二人に別れを告げ、トボトボと歩いていた自分。そんなことや、駅のホームにしばらく立ってみたり、ビルの屋上から下をずっと見ていたりもしました。

ですが、山で決意したものが上手くいかなかったことで、僕はついに人生を辞めきれませんでした

そして、弁護士事務所へ行き、自己破産をすることにしました。とてもやりたくない選択肢で、どんな顔で親父にあえばいいのだろうと深く悩み苦しみました。しかし、それ以上に支払いの地獄には耐えられませんでした。

前の仕事を辞めてから9年が経っていました。うつ病になってから12年の月日が経っていました。

そして、あの日がやってきたのです。東日本大震災。そう、2011年の3月11日です。

僕の職場は海岸近くにあり、その日は夜勤明けのお昼頃に自宅に帰りました。そして、13時頃自宅につき風呂に入った後、ご飯を食べていると突然大きな揺れがやってきました。

そこからは怒涛の日々で、職場は津波の被害にあい、同僚の一人が流されて亡くなりました

かなりショッキングな出来事と、皆同じような辛さや苦しさの中で生活していたので、うつ病の辛さは僕もあったのですが、何か忙しさ、あわただしさの中で気が紛れたのは確かです。

なぜかあれほど自分で人生を終わらせたいって言ってたのに、助かったって思っている自分がいて、やっぱり生きていたいんだと分かりました。

そして、何よりも嬉しかったのは、そんな辛い状況にある自分に支援してくれた友達がいたことです。震災からわずか数日後に関東から車を走らせ、救援物資と当面の生活費として二人の友達からお金を渡されました。凄く凄く感激して、友達が帰った後に泣いて、心の中で何度も何度も「ありがとう」って言ったのを覚えてます。


恩を裏切り、繰り返す自己嫌悪

しかし、それほどの気持ちがありながら、僕はそれから「お金を溜めて返そう、何なら倍にして返そう」とまで心に決めていたのに返さなかったのです。

返さず、ギャンブルに全てつぎ込んでいました

それでまた自己嫌悪と罪悪感がやってきて、友達に心の中で謝罪し続けるのです。でも、また優先順位を忘れてギャンブルに興じるの繰り返し。

僕はどうしようもない奴だ。震災で亡くなって苦しんでいる家族も多いのに、自分は助かって友達や周りの人達にも支えられて生きているのに、その恩を何一つ返せない愚か者だ

そして、また自暴自棄になって自〇願望の世界に入っていく

全て自業自得なのですが、どうしても苦しさに向き合えない自分。何度も何度も「もう一度やり直す」と心に決めて頑張ろうとするのですが、頑張れない。どれも中途半端な人生。「自分はいらない人間だ」と良く思っていました。

ですが、少しだけですが良いこともあり、それは心の動きが何となく読めるようになってきたことでした。その頃はうつ病歴も20年近くになり、何となく気持ちが落ちてきた時の対処法が出来るようになってきました。

人込みに行き苦しさを感じ始めたら、少しそこから出て深呼吸をしたり、自〇願望がやってきたら、別の楽しいことを考えるようにして自〇願望の意識から自分を外すようにコントロールが出来るようになってきたのです。

長くうつ病に関わってきた特権なのかもしれません。あまり嬉しいことではありませんが…。ただ、それでも本当に辛い時はどうしようもなく、ただうずくまってじっと耐えて、その辛さが抜けるのを待つということもありました。

この間、僕も僕なりに、何とかしてうつ病を克服したいと思い、色々なことはやりました。糖質カットした食事、瞑想断食、リラックスできる音楽を聴く等。試したことは多くありましたが、コレだ!と思えるほどの効果は実感出来ませんでした

僕はもうほぼ諦めました。「大体のやることはやったし、このうつ病とはこれからもずっと人生が終わるまで付き合いは続く。つまり一生低空飛行でこの人生は終わる」とそう思っていました。


25年目の奇跡!「分かった!」

ところがです。

ところが、僕がうつ病になって25年目に奇跡が訪れました

僕はその日仕事が休みの朝、目覚めるとボーッとした状況の中、これまでの過去の自分が瞬間的に全て脳内で再生されるという現象が起きました。

うつ病になってからの25年間がわずか10分もしないうちに脳内で再生されたのです。とても不思議な感覚でした。

そして、僕は思わず「分かった!全て分かった!」と思わず声を上げてしまいました。

一体何が分かったんでしょう?

それはうつ病になった原因うつ病の治し方でした。

しかし、この治し方はうつ病だけではなく、全ての人が幸せになるための最大の方法であるともこの時分かりました。

だから、僕はこのことをうつ病で悩んでいる人を始め、多くの人に知ってもらいたいと思い、記事を作ったのです。

少しでも誰かの役に立てたら嬉しいです。では今日はこの辺で

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