不幸体質から幸福体質へ生まれ変わるにはこの気づきが大事

25年のうつ病人生を経て、ようやく光が差し込んできたという内容の記事を前回投稿しましたが、それから間もなくしてさらなる気づきがありました。今まで暗闇の中にいた心の状態では見えなかったものが、段々見えるようになってきた感じですね。

僕が不幸体質になったのは幼少期が原因だった

それで今回は僕がなぜ今までとてつもない不幸な道を歩んできたのか?その根本的な理由がはっきりと分かったので語っていきたいと思います。そして、この話もまた皆さんにとって必ず有益になるものだと思っているので真剣に話していきたいと思います。

それは意識の話なのですが、僕はずっとずっと昔、幼少期の頃の自分を思い出していました。僕は子供の頃、めちゃめちゃ身体が弱く、つまり虚弱体質で、尚且つ小児喘息も持っていて、身体も同学年の人と比べてもかなり小さかったんです。

どのくらい小さかったかと言うと、小学6年生で当時は子供がまだ多い時代だったので田舎に住んでいた僕の学校でも1クラスに男女合わせて40人はいてそれが全部で3クラス。つまり同学年で120人くらいの生徒がいました。

その中で、ナント僕は身長順に並べると一番先頭だったのです。男女合わせてです。これだけで相当小さかったというのが分かりますよね?そんな小さい僕ですから、1番大きい生徒と比べると身長差が30cmとか、もっとそれ以上あったわけです。

僕はこの現実を目の当たりにして物凄い劣等感を抱いていたわけです。さらにそこに加えて病弱だったわけで、ちょっと体を酷使というか運動しただけでも、すぐに熱を出して休んだり、時には喘息の発作が起きて苦しくなり動けなくなるという事が幾度となくありました。

まあその度自分も苦しいですけど、親も特に・・母親がとても大変だったと思います。とにかく子供の時は母親が毎回毎回看病するわけで、流石にいくら可愛い自分の子供とはいえ、あまりにも頻繁に僕が倒れるわけですから、いつも良い顔は出来ませんよね。

親だって完璧な存在ではないのですから。これがたまに風邪をひいて寝込むくらいなら、温かい笑顔で優しくも出来るんでしょうけど、それが1年間に50回も100回もとなれば、病院にも行かなければいけない訳でお金もかかりますし、やっぱりイイ顔は出来ない時もありますよね。

でも、子供はそういうのが分からないし、僕自身もそうなりたくてなっているわけじゃない・・けど、母親の表情から察するわけですよ。まあそれプラス母親も感情的になったりもして僕に嫌な事を言ってしまう時もあるわけです。

本当は言いたくないはずなのに、やっぱり辛く当たってしまう事もあるわけです。今の僕ならそれは理解出来ますが、当時の子供の僕は理解が出来ないわけです。そして、優しい僕はどう考えるかと言うといつも母親に迷惑ばかりかけて僕は何でこんな弱い自分に生まれてしまったんだろう。僕はいらない存在、本当弱い子供でゴメンナサイとまるで自分がダメな子供、親不孝な子供のように感じて何度も自己否定を繰り返していたわけです。

ですが、きっと母親も言った後で反省や後悔をしていたはずです。そういう事も僕は分からないわけで、既にこの頃からネガティブ的な物の見方をするようになっていたのだと思います。

僕が不幸体質になった理由、圧倒的な優劣

さらに身体が小さい僕は、同学年の男子から時には女子からも馬鹿にされたりするわけです。チビ扱いをされて、子供から子供扱いされるというような事が何度もありました。ある意味おもちゃみたいな感覚で扱われることもあったわけです。

そこに今度は大人も入ります。大人は人によっては物凄い区別と言うか差別をする人もいて、例えばスポーツの大会などで自分がとある地区の中では最年長いわゆる上級生なのに、2年とか3年下の子供の方が体格も運動能力も高いからとチームの監督は全部のポジションを僕から取り上げて、僕は体が弱いし、小さいから外すとはっきり言われるわけです。

補欠だからベンチ応援で声を上げろとか平気で言うわけです。今考えればそこまでして勝たないといけないような大会でもないのに、物凄く残酷な所業ですよね・・・さらに自分が下がってレギュラーになった下級生の親が出てきて、僕にうちの子は運動が得意だからゴメンねとかわざわざニコニコしながら言ってくるわけです。

こういった事がいろいろな場面で僕の身に起こるわけです。そうすると、僕はいつも歯をギリギリとしたり、拳を強く握りしめて悔しい思いと同時に自己肯定感がどんどん下がっていくわけですよ。

ただでさえ、劣等感があるのに、そこに分かりやすいほど優劣をつけられるわけですから、小さい僕は自分が本当にちっぽけな存在で前に出るという事を許されない人間のように感じていたんだと思います。

僕が不幸体質になったのは劣等感という鎖の意識

この恐ろしいまでの鎖のような意識や思考状態が作られた事により、僕はネガティブが基本設定としてその後の人生にも影響していたと気づきました。

自分が周りの人よりも物凄く劣っている存在だと思っているわけですから、何かを発言しなきゃいけない場面とか発表する場面になると身体が硬直して頭も真っ白になって声が出て来なくなるわけです。生まれたての小鹿のようにプルプル震えている僕がそこにいました。

自分がとても小さい存在だと思い込んでいるから怖いわけですよ。不安で不安でたまらないわけです。だから本来あるべき自分の力が何一つ出せなくなるわけです。

いやー今の僕から見てもめちゃくちゃ可哀想としかいいようがないですよ。僕はこのような経験から自分という人間が小さくて価値のない存在だと認識して、間違った認識の中で生きてきたのだと分かりました。

だってそうですよね?誰からも中々肯定してもらえず、否定の方が強い意識を受けていれば、こういう人格が形成されてしまうわけです。だから、いつも良い所で何かブレーキが掛かっていたのは、この意識がずっと僕をそして人生を上手くいかせられないように作り上げていたのだと分かりました。

このような意識だったからこそ、このとてつもない思い込みがあったからこそ、人生が上手くいかなかったわけです。まあ思い込みでもあり、勝手に植え付けられた意識ですよね。これがもし僕は体が丈夫で、尚且つ体が人よりも大きかったら、きっと自己肯定感はめちゃめちゃ高かったのかもしれません。

ですが、そうではなかった。ここにも必ず訳があると思いました。まあそれは追々・・

つまりその、いつも僕は自信がなかったわけです。何をしても何かを学んでも経験しても、大きな自信を持つ事が出来なかった。それは自分がいつも小さな存在でいなければいけないと思っていたから。

不幸体質に気づき本当の自分に気づく

でも、本当は違った。僕は本来もっと大きな存在で、何でも出来て、自由に発言が出来て、さらに愛情深く困っている人がいればすぐにでも救いの手を差し伸べる事が出来るくらい強い意識を持った人間だったわけです。

そして、それは僕だけじゃなく誰もがそのような意識の人間であるわけです。ただそうでないのは、生まれてきた時に植え付けられた意識が間違っていたり、鎖をつけられて自由を奪われてしまうような思考の数々により弱い意識存在に作り上げられてしまっていただけに過ぎないのです。

つまり本来は皆が素晴らしい存在なんですよね。身体が大きいとか小さいとか不自由だとか全く関係なく誰もが強い一人の意識存在なわけです。そこに気づくことがとても大事ですよね。

まあここに気づくまでにどのくらいの時間を要するのかも重要なんでしょうけど、、まあそれも含めて人間としての成長するための人生なのかもしれません。。。でも、なかなか気づけないですよね。僕だってうつ病で苦しんでいる時はもうこんな事一切考えられなかったわけですし・・そう考えると人間って不思議ですよね。

逆に生まれた時から良いスペックで環境も教育も整っていれば、こんな事を考える必要も苦しむ必要もないわけで、まあそっちの方が大方の見立てでは、幸せなんでしょうけどね。これが分かったから凄いとか分からなかったからダメなんて事もないですから。

ただ苦しみや悩みを多く知った人の方が同じ思いをしている人の気持ちはよく分かりますよね。まあ話は僕の子供時代に戻りますけど、、昭和の価値観はこんな風に何か大きなマイナスを抱えている人には厳しい見方だったり結構偏見的な物の考え方を持たれてしまう時代だったですよね。

もちろん良い面もあったわけですけど、僕の子供時代はその頃の僕は甘んじて受け入れていたのかもしれないですが、今の僕には厳しいとしか言いようがないですね。しかし、とは言っても、この時代は多くの人が優劣の強い価値観の中で生きてきたわけですから、誰も責められないですよね。

不幸体質と気づけば幸福体質へ一気に変わる!

他責思考になった所で何も意味はないですし、大事なのは思い込みや植え込みという事に気づいてからどうするかが重要ですよね。だから現在自分が不幸体質だとか不幸な状況にいると思っている人こそ、確実に言えるのは、それは本来の自分ではなく、これまでの思い込みや他者からの植え付けられた意識に過ぎないということに気づいて欲しいです。

必ず今の思考に至るには、段階があって一番は幼少期からの色々なトラウマだったり、価値観の思い込みや植え付けが行われた教育や環境が影響しているわけです。

そして、そこに気づいた上で自分はどうするのか?どうしたいのか?ということなんです。

でも、やっぱりその状態で今の不幸だと思っている状態で生きていけば、間違いなく幸せではない苦しみの状態が長く続くような人生になるわけですから、、それを幸せな方に持っていきたいわけじゃないですか。

だからこそ、本来の自分はもっと強く愛を持っている存在だと気づく事に加え、これまでの思い込みや植え込みを解除していく事が大事になります。そこで、よく考えてしまうのは、それを与えた人への恨みや他責の念、そして自責の念なわけですが、これらに執着すればするほど、幸せとは真逆の人生が待ち構えている事になります。

なぜなら、自分がその人生を送ってきたから良く分かるわけです。ずっと苦しみの中をグルグルグルグル回ってきたわけですから。これをまあどうしてもやりたいと言うのであれば、止めはしませんけど、マジで苦しいですよ。

僕の1番目の動画を見てもらえれば、幾らかはその苦しみが理解出来ると思います。でも、理解出来なかったら、それはしばらく苦しんでみてもいいかもですね・・・人間は苦しみがあってその逆が分かるという事もありますから。

でも、今わからなくても、一度でも僕の動画を見てもらえば、それなりに記憶の片隅には残るはずなんで本当に苦しい時は思い出して、心の大事さをきっと真剣に見つめることになると思います。

今回は自分を不幸にしている意識の発生源を突き止め、それらを手放していくという話でした。

何か考えれば考えるほど、僕は精神のいばらの道みたいな所を強制的に歩かされていたのかなって思いますね。まあ自分で選んできたのかもしれませんが、こんなオジサンになって気づくとは、人生とは摩訶不思議です。

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