小中高とイジメられていた過去について語ります。

小中高とイジメられた経験を持つ僕。とても苦しい学生時代を過ごしましたが、やはりイジメは本当精神的に良くないですよね。大人になっても学生時代にされた嫌な事の数々がふいに記憶の中から蘇って来て自分を苦しめます。世の中にイジメが無ければと思ってしまいますが、残念ながら今の世の中では難しいでしょう。

小中高とイジメられていた過去

あまり思い出したくはありませんが、僕は小中高とイジメられていました。前回の動画で書きましたが、僕は子供時代は体が弱く、背が小さかった事もあり、小学生の頃は良くからかわれる事が多くありました。

なので、小学生の頃はイジメというより、いじられると言ったイメージでこの時はまだ強くイジメという3文字を意識することはなかったです。ですが、これが中学生になるともうガッツリいじめとしか言いようがない出来事が何度もありました。

まあ今思えば皆の平均身長よりも10cm、20cmは背が低く身体も小さく弱かったのでそんな自分をイジメるのは完全に弱い者いじめですよね。明らかに勝てるとか絶対負けないという条件の下でイジメるわけですから。

それに加えて僕もやり返そうとしないわけですから、100%勝ち確定のイジメです。それでも、顔や体があざだらけになるくらいボコボコにやられたのは1度だけでしたが、女子の前でパンツを脱がされたり、トイレで大をしていると上からバケツで水をかけられたりとかそういう事もありました。

このトイレに中々いけないという当時の風習もかなりヤバいことだと今は思えますね。皆特に大の方だと物凄く我慢するわけです。なぜ我慢するかと言うと、恥ずかしいとか後はトイレに入っている時にイタズラをされたりするからです。

でも、こういう誰もがある生理現象を邪魔するとか恥ずかしいと思わせるような風習は、どう考えてもよくないわけです。特に僕のようにいじめられていた子供などは、余計トイレに行きづらいわけですからね。

それで膀胱炎になったり腸に便が溜まり過ぎて大変な事態になった子供も当時は当然いたでしょうね。まあ部活でのどがカラカラなのに、水を一切飲んではダメみたいな教育もあったくらいですから。忍耐や我慢が美徳のように思われていた昭和の時代でしたね。

大人がそういった状況を黙認していたある意味では異常な時代だったとも言えます。

中学生から始まった陰湿なイジメは高校まで続き

話はイジメに戻りますけど、結構色々な陰湿なイジメはされました。物を隠されたり、弁当のおかずだけ全部食べられていたり、持っているお金をとられるいわゆるカツアゲとか学校近くのお店に買い物に行かされるパシリなどもありました。

あとは自宅に特上寿司が届いたり、タクシーが5台とか来たりもしましたね。もうねお店とかはやっぱりダメでしょって思いますけどね。今だったら簡単に特定されてやったのが子供だったとしても捕まってたと思いますが、当時は公衆電話とか自宅の電話でも番号が出ないわけですから、お店もどこから掛かってきてるか分からないわけです。

まあ今ならどう考えても、罪に問われるような話もあったりするので全部は言いませんけど、そのようなイジメが高校時代まで続きましたね。で、僕もやっぱり相手に対して何も思わないかと言えば当然そんな事はないわけです。本当イジメは良くないですよ。

もう色々な嫌がらせの数々により、心理的にかなりトラウマのようにもなったわけで、しばらくは苦しい記憶のキャッシュバック・・ん?違うフラッシュバックですね。キャッシュバックなら喜んでもらいますよwとにかくフラッシュバックや恨みの思いから大人になっても加害者にされた事が蘇ってくる事が良くありました。

そのくらいやられた方はずっと覚えているっていうことですよね。犬なども嫌な事をされたらその人の顔を忘れないみたいですから、人間はもっとでしょうね。

そんなわけで高校卒業後、いじめから解放されても、しばらくは許せないという気持ちが常にありましたね。おそらくコレはいじめられた経験のある人みんなが共通していえる事だと思います。それだけやられた苦しい記憶は残り続けます。

でも、まあ今はこういう話が冷静に出来るくらいですから、仮に思い出したとしても以前のような苦しさはありません。それにはもちろん理由もあります。その理由について今から話していきます。

イジメはなぜ起こるのか?イジメ問題

結局このイジメというものは、この優劣社会が無くならない限りは、残念ながらずっと無くなる事はないでしょうね。そして、実際のところ、イジメはその被害者も加害者もどちらも辛いという事なんです。

えっ?加害者が辛い?そんなわけあるか!と、被害者のイジメられた側は、そう思う人が多いでしょう。僕自身も昔であれば、加害者が100%悪いと思っていましたが、今はその考えは違うとはっきり言えます。

なぜならば、加害者も必ず何か原因があっていじめてきたわけがあるからです。それは良く言われるいじめられる側にも問題があるというものではありません。そんな問題なんて無いわけですから。見た目がとか人と変わってるからイジメられても仕方ないなんて話があっていいわけがないですからね。

だから、僕が言いたいのはそこではありません。イジメの原因となっているのは、優劣と恐怖と不安です。ここが最もイジメが無くならない理由と言えます。

それは幼少期から、親または社会から何事も勝たなければ、上に立たなければ、負け犬のように地べたを這いつくばって生きる事になるみたいな・・極端に言えば、負けたら一生底の人生みたいな教育がなされた結果だと思います。

またはそういった教育にストレスを感じていた兄弟、兄や姉などからのイジメ、八つ当たりなども理由の一つとしては当然あるでしょう。

このような事が自分の身に起こったとすれば、イジメをする子供いわゆる加害者からすれば、凄いプレッシャーですし、同時に恐怖や不安にもつながります。

これが幸せな気持ちで皆が良い社会、心の温かい社会というものを教えていけば、心が幸せな状態で子供がいられれば間違いなくイジメなんてしようとは1ミリも思わないわけです。

ところが優劣社会においては、勝つ事が正義とか勝たなければ、誰かを蹴落として上に立たなければいけないといったように子供に教えてしまう親が多いために、子供は息苦しくなって誰かをイジメることで自分の心の安定を図ろうとする子も出てくるわです。酷い場合だと周りはすべて敵みたいな思考を植え付ける親もいるわけです。

つまり元はそんなつもりもなかった子供が親や環境によって、イジメる子供に作り上げられてしまった可能性が高いともいえるわけです。

僕をイジメてきた子は実は皆弱かった?

だから僕をイジメていた子供の中でも、周りに仲間が多くいる時は先頭に立ってイジメてきたのに、その子が一人でいる時はなぜか僕に近寄ってくる事もなく、目の前にいても何もしてこないのです。

つまりコレは何を言いたいかというと、仲間がいる時は自分を強く見せなければ、舐められるとか馬鹿にされるといったような恐怖や不安があったため、敢えて強がってイジメてきたわけです。

ところがいざ一人になった時は、誰も周りにいないので強がる必要もなく本来の本当は弱い自分がそこにいるという感じです。だから弱いから怖いからこそ、一人ではイジメてこないわけです。

これって傍から見たら、実は加害者も弱い存在ということなのです。自分が弱い人間だからこそ、イジメるわけです。だって強い人間だったら別に堂々としていればいいわけだし、むしろ強い人間と闘いたいとさえ思うはずです。

例えばですが、プロボクサーの井上尚弥選手が明らかに素人の一般人に対して本気で闘いを挑んだりしませんよね?マイクタイソンが小さい子供に殴りかかったりしませんよね?

つまり本当に心も体も強かったら、わざわざ僕のように小さくて身体も弱かった人間に何かをしようなんて事をするわけがないのです。

そう考えると、もしかするとイジメる人間も僕たちイジメられる側と同様に、ずっと恐怖や不安が常に自分の中でグルグル回っていたのかもしれません。自分がもし被害者側になってしまったらどうしようと怯えていた可能性すらあります。

イジメた人間にも必ず心に与えたものが返ってくる

そして、僕の一番目のブログ記事から言えば、心に行ってきたことは全て自分に返ってくる法則がありますので確実にイジメた人(加害者)も必ずその後の人生で僕のように苦しんだはずです。

残念ながら、他者に向けた刃の心は自分の事と受け止めた心がしっかり返してきます。つまり心はブーメランと同じなのです。全て良いことも悪いことも返ってきます。

芸能人でもありましたよね。昔のイジメを暴露してしまったために、今度は自分が多くの人からイジメのようなバッシングを浴び続けたという人も・・・有名な俳優の人も、自分の書いた本いわゆる自叙伝の中でイジメを告白していましたが、きっとその俳優の方もイジメバッシングを受けた芸能人のニュースを見て、毎日気が気でなかったと思いますよ。

もし、自分の過去のイジメがスクープされて、バッシングされる身になったらとか、仕事や今の地位を失ったら、家族とか子供がイジメられることになったら、どうしようと不安で眠れない事もあったかもしれません。

幸い所属していた事務所が上手くそういった記事を書かれないよう、または書く前にきっとストップして食い止めたと思われます。ですが、本人は連日のイジメ報道やSNSを見て恐怖を感じていたと思います。

つまりこのようにして、必ず自分がしたことはいずれ自分だったり、自分の大切な人などに向けて返ってきます。仮に返ってこなかったとしても、いつまでも恐怖や不安を心に持ち続けるいわば、時効から逃れる指名手配犯のような気持ちで居続けなければいけなくなります。

だから加害者も被害者が知らない所でしっかり苦しみのポイントとなる時があるということなのです。

また例えを出しますが、昔武勇伝のように自分のイジメを語っていた人がおじいちゃんになって可愛い孫が出来たとします。しかし、孫が大きくなった頃におじいちゃんが昔イジメをしていたと知ったら、途端に態度が変わり一切おじいちゃんに寄り付かなくなったとします。

凄く愛らしい表情をいつも向けてくれた孫が二度とおじいちゃんに優しい顔を向けなくなってしまったとすれば、きっとそのおじいちゃんは過去を後悔したり、反省したりするかもしれません。もしくはショックのあまりストレスで病気になるかもしれません。

どこかで意識や思考の切り替えが起こらずに、そのまま何十年も過ごし続けた結果、ある日突然思いもよらない事が身に起こったりする可能性もあるわけで、とにかく必ずどこかの地点で修正が行われないと自分がしたものが返ってくるわけです。

被害者も加害者もどこかで心の修正が必要になる

だからこそ、加害者も被害者も自分の中にある不幸な意識や思考に早く気づいて、それらを手放して幸せな意識や思考に切り替えていく事がとても重要だと思います。

過去の苦しみを忘れらない気持ちは誰にでもあるし、もちろんその気持ちも当然分かります。ですが、そこに捉われているうちは一生幸せな毎日を送る事は出来ないのです。つまり心を幸せな状態にしなければ、本当の意味での幸せはずっと訪れないと言えます。

もちろん、いじめる側でもそれが楽しくて仕方ないという人もいるかもしれませんが、むしろそういう人は圧倒的に少なく、本当はイジメたいと思ってない又は思ってなかったという人の方が多いと僕は思います。

だからと言っても、もちろんイジメを擁護するわけではありませんが、必ずそうなる原因がどこかにあったのは確かだという事です。

そういえば、つい先日とあるインフルエンサーで今は芸能人のような仕事もしていて結構有名になってきたと言っていた人がいたんですがその方が今とても気にしている事が、昔自分がイジメをしていたという話でした。

まあいわゆる相談だったのですが、自分が売れていざ多くの人から脚光を浴びる状況になった時、真っ先に不安を感じたのが過去のイジメだったそうです。その相談に多くの人は自分が蒔いた種だからしょうがないとか、被害者に謝れとか、そのような人間は絶対応援したくないなどのかなり厳しい意見が多くありました。

確かに言われて当然と言えば当然で、その方も厳しい言葉の数々に心が折れそうになりながらも、正論なので受け止めるしかないけど、苦しいと言っていました。

つまりやったものがある意味今の時点で返ってきたという事なのです。ですが、この状態を悪化させないためにも大事なのは、自分の過去を受け止めつつもその過去とは決別するということです。過去の自分に対して心に許しをこい、謝罪し、完全にもうあの頃の自分とは真逆の自分へと変化すると決める。

僕はその方にイジメた事は悪いけれど、必ずあなたにもイジメた理由があって何かしら親からのプレッシャーや不安な精神状態になっていたのではと聞いたところ、やはり他からの圧力や優劣的な物の見方を強く押し付けられた背景がありました。もちろんだからと言って、イジメが擁護されることはありませんが、結局はイジメた方、イジメられた方どちらも苦しみを味わうことになるのです。

もちろんこんな僕も実際イジメられていた時は全く相手の事なんて鬼や悪魔のようにしか見えなかったわけですが、ようやく他者の視点や背景を冷静に見えるようになったのでこういうことが言えるようになったのです。

高校時代の同級生がイジメられた過去の恨みを語ってきた

そういえば、もう一つ思い出したことがありました。それは今から10数年前の事なのですが、僕が当時30代半ば頃だったのですが、どういう経緯で僕のSNSを見つけたのか分かりませんが、突然彼はコンタクトを取ってきました。

その彼をAさんとしましょう。

Aさんは高校確か2年生か3年生の頃に僕のクラスに転入してきました。どこの高校から転入してきたかは忘れましたが、まあまあ田舎の方だったはずで、その田舎特有の訛りというか方言のような独特な口調がありました。

そのせいもあってか、Aさんは転入してきてから程なくしてイジメの対象となってしまったのです。まあ僕もイジメられていたので、Aさんの事に注意を向ける余裕はありませんでした。

でも、Aさんにとってはこれまで楽しい学生生活を送ってきたのに、転入した事でいきなり訳も分からないまま、イジメにあった事はその後の人生にまで影響を及ぼすくらい暗い闇を抱えてしまったのだと思います。

僕に対してAさんは僕の高校全てが忌まわしい過去であったようで、なぜか僕にも恨み節を延々とSNSでメッセージとして送ってきました。僕は当時うつ病で苦しんでいた時期でもあったので、適当に返事を送って後は返ってきたメッセージもスルーしました。

僕はAさんに危害を加えたことはなかったというのもありましたから。

ですが、今考えればもう少しAさんの身になって話を聞いても良かったなと思っています。Aさんが心の修正が今は出来ていればと願います。

このように、やっぱりイジメは映画やドラマのように克服していじめっ子を逆に倒すみたいな人は稀で、逆転するケースは少ないわけです。だから克服できなかった人は、どうしても卑屈になってしまい、その後の人生に影を落とすことになりやすいわけです。つまりそれは本当の自分を出せない状態が長く続くわけで、やはり良いとは言えません。

僕もその影響が少なからずありましたし、どうしてもどんな時でも強く出れない自分がいました。明らかに相手が悪いはずなのに、なぜか謝ってしまうのはいつも自分だったりもしました。本来は自由であるはずの意識が、イジメなどの経験からまるで独房にでも入れられたような不自由な意識に塗り替えられるのは本当人生でかなりの損をすることになりますね。

僕は苦しみのカルマを背負っている?

そう考えると、僕はあまりカルマと言う言葉を使いたくはないのですが、僕は前世何か悪い事でもしたんでしょうか?それとも学びとして人生の半分をかけて苦しみや痛みについて学ぶセッションだったのかもしれません。

まあ一説によれば、これらは自分が望んで選んでいるとも言われますが、うーん望んでいたのかなー良く分かりませんね。ただ自分を客観視したり、相手の視点から物事を見るという事が出来るようになったのは、大幅なプラスではありますね。

人間においては、最も大事な視点ですし、これが出来るようになるという事は、多角的な物の見方が出来るようになったという事でもあり、後はその応用こそがまさに人生と人間を知るキーポントとなっていくでしょうから。

時間が経てば苦しみも財産と理解出来るのですが、流石に精神のどん底に入る時は100%財産なんて思えませんよね。

僕は最近ダイバーしてますね。精神と言う名の海それも深海です。このダイビングは色々な気づきを与えてくれるので皆さんもおすすめですよ。ただ自分自身と向き合うという作業がどうしても必要なので、過去の苦しみにも焦点を当てる事になります。結構辛いですが、そこをクリアすると・・深海の一つ一つを攻略すると壮大な精神の世界に出会えます。

僕の中にあるとてつもないデカイ意識領域が存在していて、、何か話が飛躍し過ぎましたね。今日はこの辺で

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