うつ病25年目にして奇跡の生還。ついに真実にたどり着きました。

25年間という長いうつ病生活は本当にこの世の地獄かと思うくらいきつかった。

良くここまで生きて来られたと自分でも思うくらい壮絶な心との戦いみたいな時間でした。

25年という長きに渡るうつ病人生。

突然ですが、僕は今47歳です。オジサンです。何の変哲もないただのオジサンです。

でも、こんなオジサンがこれまで25年間うつ病という精神の病に苦しみ、色々な心の痛み、

そして、その辛さから起こしてきた経験談を本気で語りたいと思います。

こんな胸の内を全てさらけ出すなんて、かなり恥ずかしいことだし、

自分の中ではとても勇気のいることでしたが、それでもこの話をどうしても伝えたい。

残したいと思って話す事にしました。

ただの不幸話とは違います。

自業自得と思われる人もいるかもしれませんが、僕の伝えたいところはそこではありません。

僕が伝えたいのは僕のこれまでの人生の中で心にどんな言葉を与えた結果、

得た人生の答えです。それこそが僕が皆さんに強く知ってもらいたいメッセージです。

これから相当長い話をしていきますけど、僕の人生のすべて、そして、

生きるという事へのもっとも大事で大切で、きっとこれを聞いてくれた誰かの心に

何か響くものがあるという確信を持って、本気で、、本気で話します。

47年の人生で一番、自分の人生を賭けて学んだマジの話です。

長い前置きで申し訳ないのですが、この話だけはどうしても僕の決意を

知ってもらいたいと思い先にこのような話をさせていただきました。

上手く言葉に出来ていない部分もあるかもしれません。

なんせ25年のうつ病生活で人と関わるのが苦手になってしまい、コミュ力はほぼ皆無です。

まあ元々人づきあいは上手くありませんでしたが、20代30代という人間として

もっとも輝ける時間を全て棒に振ってうつ病という心の病と付き合い、年齢=恋人いない歴、

海外旅行の経験も一切なく、自らで檻の中に飛び込んだ。

そして、どんどんどんどん小さく弱くなっていった。そんな25年を過ごしてきました。

なのでこれから話していく事は、ひたすら自分語りになります。

でも真剣に話します。

最初は少しオブラートに包んだ話、自分を第三者的な形で書いた方が

恥ずかしさも半減すると思ったのですが、

自分の人生を語るのにやっぱり自分の本当の出来事を話さなかったら、

皆さんに伝わらないし、きっと、あとで後悔すると思い恥ずかしながらも

真実を話すと決めました。

ですから、あくまでも文章という形ではありますが、これは本当に、本当に

自分勝手なお願いなのですが、どうか僕という人間と一対一の人として

向き合っているような感覚で読んで欲しいというお願いと言うか、

そんな気持ちで見てもらえるととても嬉しいです。

では話していきます。

うつ病25年の序章(始まり)

僕がうつ病になったのは、今から25年前。22歳の頃でした。当時はまだうつ病に対して、どちらかと言えば偏見的な見方が多かったです。うつ病という言葉がようやく出てきたような時でしたから。

なので、うつ病は甘えだとか心が弱い人がなるもので、仮病に近いといったような認識が大半で、実は僕自身もそのように思っていました。ところがそんな自分がうつ病になったわけです。

ホント苦しかった。。僕は20歳までずっと地元で育ち、そこから出た事はなかったのですが、初めて正社員となった就職先が他県だったので、その関係で生まれて初めて地元から出ての生活、一人暮らしが始まりました。

初めての一人暮らしはホントに嬉しかったですね。ようやく一人だけの自由な時間、全て自分だけの時間。

この開放感とハタチという若さもあり、さらに地元から離れて見た事もない景色の中で生活する事が凄く新鮮でワクワクしていました。で、実際楽しかったわけですが、なぜかそれから2年もしないうちに気づいたら無気力状態になっていて、何をしても楽しくない。

仕事をしていても気力が沸いて来ず、友達や仲の良い同僚と遊んでいても楽しいは楽しいのですが、何かいつも心にひっかかるものを感じていました。そして、その気持ちがどんどん大きくなるとなぜか人生を辞めたいって思うようになりました。訳もなく生きるのが辛いんです。

自分でもこの状況はダメだと思って新しい趣味を持ったり、新しい友達も作ったりしたのですが、全く気持ちは変わりませんでした。

で、そのうち仕事でも注意力が衰えてミスをするようになり、先輩や上司に怒られて、ますます自分の生きる価値を見失っていきました。なんで、こんなミスしてるんだ!ホント情けない。何やってるんだ僕は!と何度も何度も自分を責め続けていました。

この時はもう既にうつ病になってたんだと思います。でも、うつ病と分からなかったので、とにかく毎日やってくる感情の波が辛かったのは覚えています。このままではいけない。もっと頑張らないと、こんなカッコ悪い自分は誰にも見せたくない。知られたくないって心の中でずっと思っていました。

僕はこんなもんじゃないはずだ、こんな弱い人間ではない。でも、そう思えば思うほど、胸が苦しくなりました。この頃は情けない自分をみせたくないという気持ちから、とにかく人と会うのも話すのも苦痛に感じていました。そして、ついに大きなミスをやらかしました。

取引のある会社さんにもかなり迷惑をかけてしまったので、上司と1社1社回ってひたすら謝り続けました。僕の心はもうグラグラに揺れてました。自分への怒りや憎しみ、悲しみなどいろんな感情がぐるぐる回ってたと思います。

上司にも職場の人達にも何度も謝り、もはや自己肯定感0。いやマイナスですよね。でも、なぜか上司は全く怒らず、今日の夜仕事終わったら飯に行こうって誘ってくれたんです。その店でも僕はひたすら謝ってたのですが、上司はまあ生きてれば人間色々あるし、こういう辛い経験も乗り越えてこそ人生だから。

だから、あまり落ち込み過ぎず、前を向いて頑張ろうと言われ、感極まって泣いてしまいました。肩を叩かれ慰められ、その上司の優しさとこんな自分でも応援してくれているって気持ちが伝わって来て、僕は、、そう歯を食いしばって頑張ってしまったわけです。

それで何が起きたかというと、1か月後、僕はその日自分が何をしていたか全く意識がなかったんですね。もちろん仕事には行ったはずなんですけど、気づいたら首が苦しかったので、その時はっと我に返って見たら首にロープが・・・真っ暗なアパートの自分の部屋で、、、自然と涙が出てました。

そして、同時に僕は過去を思い出していました。それは僕が高校3年生の時なんですが母親がガンで亡くなった日で、僕は涙が止まらず号泣してたんです。で、今までの母親との思い出が走馬灯のように流れてきて、とても言葉に表せない程苦しくて、親孝行出来なかった自分が情けなくて、それでも母親に最後はこれまで一生懸命僕を生んで育ててくれてありがとうって言って、母ちゃんに出来なかった親孝行、必ず親父にするから。

そして母ちゃんの分まで強く生きるから天国で見てて欲しいって心に誓ったんですよね。でも、ここまで何とか自分なりに必死で頑張ってそれなりに良い仕事について親父にも生まれて初めて褒められたけど、もう無理だ。これ以上は、、これ以上はもう頑張れないよ。。親父より先にいく人生だけは出来ないから仕事を辞めるのを許して欲しいって、、自分しかいない部屋で言ってました。

それから、気づいたら泣きながら寝てて朝になってました。ちょうどその日は仕事が休みの日だったので、もう恥ずかしいとかカッコ悪いなんて言っている場合ではなかったのでそのまま心療内科に行きました。それで先生に今までの経緯を話すと、完全にうつ病ですと言われ、なんか逆にホッとしましたね。

でも、今の状態はかなり危険なのでしばらく入院してくださいと言われ、そのまま先生の指示に従う事にしました。とりあえず自宅に戻り、着替えとか一式そろえて、車で職場に行き、診断書を持って上司に報告しました。凄く顔もあわせ辛かったし、一番病気の事を言いたくない相手でもあったんですけど、しょうがないですよね。

それでもやっぱり上司はずっといい人で話を全部聞いてくれて、俺も○○(僕)を追い詰めてしまってたのかもな、すまなかったって謝られた時は、心が痛くて、、もう痛すぎて何も返答できませんでした。

その後、会社から出て車に戻ろうと歩いていたんですが、突然後ろから○○くーんと僕を呼ぶ声がしたので、振り向くと総務課の先輩が立ってたんです。凄いニコニコして近づいてきて、○○くんおめでとうって言うんです。

一体何があったのかと僕が思っていると、先輩がいやーよく頑張ったね。昇進の一次試験受かったよと肩を叩いてきてテンションが向こうだけやたら高いわけです。でも、僕は心の中で何で?何でだよってずっと思いながらも、無理して作り笑いしてるんです。

何でこのタイミングでこんな事が、、神様酷過ぎないですか?僕が何かしたんですか?ってとても言わずにはいられないくらいそんな気持ちでしたね。昨日は人生半分諦めたくらいでただ生きてればいいって思ってたはずなのに、まだ心をえぐられる感覚を味合わないといけないのかって思いました。

その後しばらくしてその総務課の先輩に会いましたけど、何かもうよそよそしくて腫物を扱うような感じでした。まあ自分が悪いんでしょうがないと割り切りましたけど・・

とにかくその後入院したことで薬の効果もあってか、だいぶ人生を辞めたいって気持ちは収まりましたし、とりあえず生きてる事くらいは出来るかって思えるようになりました。でも、やっぱり仕事はもう続けられないかなとは思いました。

それで一応先輩や上司に相談したのですが、案の定、皆から止められましたね。こんないい仕事は今のご時世なかなか無いんだから、辞めるなんて勿体ない。今は辛いかもしれないけど、しがみついてでも辞めない方が良いともれなく全員から言われました。友達には相談出来なかったですね。

カッコ悪い自分を見せたくなかったし、その仕事に就いた時、結構得意げに話したりしてしまった事もあって、まあ自慢みたいな話ですよね。だから尚更カッコ悪いと思ったわけです。。逆に僕はもっと高い存在になれるなんて事言ってたくらいだったので、自分でハードル上げ捲ってたんですよ。

友達の間でも僕はそうやって勝手に優劣とかつけてたんだと思います。そんな自分にも嫌気がさしてまた落ち込むわけです。とにかく汚い言葉で自分をののしったり、酷い言葉を自分に浴びせてました。

まあそんなこんなで悩みや葛藤が続き、結局それから仕事を辞めるまで3年間かかりました。でも、25歳でついに限界が来て親父にも申し訳ないって土下座して謝り、仕事を辞めました。辞めたら開放感みたいなのが一気にやってきて、うつ病も一瞬治った感じがしました。

それから僕は働いていた会社の県でも地元でもなく、別の場所に住むことにしました。まあ場所は絶対変えようと思ってましたし、地元には絶対帰りたくなかった。こんな自分を知り合いに見られたくないって思ってたんです。

で、ようやくあの苦しみから逃れられてこれからは精神的に楽になると思ってたんですけど、実際はここからが本当の地獄の始まりでした。まだ入り口みたいなところにいたなんて、当時の僕は知るわけもありません。

うつ病25年、本当の苦しみはここから

それから僕はアパートを探し住むことになったのですが、いくらかの貯金と退職金があったので3か月くらいはゆっくりしながら仕事を探そうと思ってました。

ところがすっかり忘れていたことがあって、それは自己啓発の教材のローン。うつ病になり、悩み葛藤する中で何とか自分を変えたいと思い、僕は自己啓発本を買って読み漁ってたのですが、その中にこの教材の紹介がありました。

もう何も考えずに詳細を聞いてみたいと思い、その会社に電話すると、向こうの担当者さんからあなたは特別な存在とか選ばれた人とか、やるべき運命にあるとか僕のモチベーションが上がるような言葉をどんどん言ってきて来るんですよ。僕は自己否定の毎日だったので、これで救われるかもなんて思って気づいたら買ってました。たしか200万くらいだったと思います。

このローンはボーナス払いの月もあったので、計算した結果、3か月もゆっくり出来ないことが分かり、慌てて職探しをしました。で問題の教材なんですが、ほぼやりませんでした。三日くらいは変わるぞ僕は絶対に変わるぞなんてやってたのですが、やればやるほど、メンタルが悪化したので、辞めてしまいました。

ホント、うつ病の時って、簡単に人の甘い言葉に騙されやすくなります。なぜなら、自分に自信がなく常に不安な状態だから。だから、そういう時に誰かに強く言われたり、自信満々に言われると簡単に信じてしまうということが起こります。

それとどこか心の中で助けや救いを求めてしまう傾向もあります。分かる人は分かりますよね?

だから何かにすがりたくて神や宗教に妄信してしまう人もいる。自分がその気持ちになったからそういう心が理解出来るようになりました。自分を救えるのは自分しかいないのに、なぜか他に救いを求めてしまうんですよ。

えっと、ちょっと話がズレてしまいましたね。で、そこから僕は正社員の仕事を探すわけですが、どこを受けても面接で前の仕事の経歴と辞めた理由などを深く聞かれるワケなんです。それで毎回返答に戸惑ってしどろもどろになり、案の定不採用。そうなると、段々心が折れかかって来て、またうつ病の症状が現れ始めたので、やっぱり出来るだけ人と関わらず、夜人が寝静まった時間に働ける仕事がいいと思い始め、夜間清掃の仕事に就く事に決めました。そういう仕事なら訳ありの人も多いと聞いていたので、僕の前職も特にしつこく聞かれたりしないだろうと言うのもありました。

そして、そんな事を考えていたら、ちょうどタイミングよく新しい求人募集の夜間清掃が出来る会社があったのでそこに応募して面接を受けたら、面接担当の責任者でのちに自分の上司になる人がとても良い方で採用していただきました。これで何とか飯は食えるなと安堵したのも覚えています。本当ありがたかった。

あとで上司からちょっと挙動不審で怪しかったから、どうするか迷ったけど、人間が良さそうだったので決めたと言われました。その頃はうつ病から対人恐怖症にもなってましたから、結構挙動もホントにヤバかったんだと思います。

まあそんなわけで働き口も見つかり、生活が始まったわけですが、とにかく最初は楽の一言でした。仕事がとかではなく、気持ちが楽なんです。僕という存在を誰も知らない場所に来て、その事で僕自身も勝手に思い込んでたしがらみなどから抜け出せた感は凄くありました。

例えるなら旅行に似た感じです。別の場所特に海外などに行くと気分が開放的になると良く言いますが、まさにそんな感じでした。友達と会う事もなく、年に数回電話で話すくらいだったので特に苦もなかったですね。

何も考えなくていい。ただ今だけを見て生きている。これが僕としては本当に嬉しかったのだと思います。でも、それは長くは続きませんでした。諦めたはずの人生、とりあえず生きていればいいかという考えも、なぜか夢の中で頻繁に出てくるのは前の仕事をしている自分でその夢を見るたび苦しい気持ちになりました。

後悔していないはずなのに、それからそんな夢を10年以上も見る事になります。だからやっぱり後悔とは執着心はあったのだと思います。そこから今の自分を見て、また自己嫌悪に陥る。鏡に映った自分の姿を見てため息をつく。

こうしてジワジワとまた精神がやられていき、また生きていたくないという気持ちが訪れ始めました。

僕はこの状態はヤバイと思い、気持ちを切り替えるようには心がけていましたが、やはり心に嘘はつけず、せっかく新しい土地に来たのに苦しい日々が始まります。

もうこの頃は他責思考もかなり酷くて、親や兄弟を恨んだり、昔いじめてきた人を思い出してアイツのせいで人生が狂ったとか、逆ギレのような八つ当たりをしてきた教師とかいろんな憎悪の塊が出てきて、誰かに刃のような気持ちを向ける事で自分を保つみたいな時もありました。過去の事でもうとっくに終わった事なのに、突然許せなくなるんですよね。自分が苦しくて苦しくて仕方ないから。

うつ病25年、Aさんとの出会い

で、そんな時に出会ったのが新しく職場に入ってきたAさんという男性でした。Aさんは僕よりも5つほど年上だったのですが、とてもそんな風には見えずかなり早い段階で僕はAさんと打ち解けました。おそらく同じニオイみたいなのがあったのかもしれません。

それはAさんも以前とても良い仕事をしていたのですが、訳があって辞めてしまったこと、そしていつかまたその仕事に就きたいという思いなどがあり、意外と似たような気持ちもあり、お互いに親近感を覚えたのかもしれません。

なので、良くお互いに悩みを打ち明けたり、遊んだりご飯を食べに行ったりもしました。そのおかげもあってか、僕のうつ病も以前ほど悪化する事はなく、この時期は上手く病気と付き合うことが出来ていたように思えます。

しかし、傷のなめ合いのような付き合いの部分もあったため、問題もあり、それはAさんがストレス発散のためにする行為としてやっていたギャンブルと他人への愚痴や悪口。

これを全てAさんのせいにするのは、もちろん違いますが、これまでそんな考えはあまり無かった僕がAさんと長くいたことで同じような思考をするようになっていきました。それはストレスが溜まったら、一緒にギャンブルをして、勝てばワイワイ楽しみますが、負けたらご飯を食べながら、職場の同僚や上司の愚痴や悪口が主でした。

そして、Aさんはこの悪口の天才というか、相手を面白おかしくディするので僕はそれが最初は酷いとは思いつつも、同時に楽しいとか面白いという風に段々思うようになっていきました。で、僕も同じように腹いせとして誰かの欠点などをあげつらって楽しむようなことをし出しました。なぜなら、それをすればするほど、Aさんが喜んでくれるし、自分も気持ち良かったからです。

自分が苦しいのだから、少しくらい他の人に当たってもいいだろという感覚もありました。

こうして奇妙な形で繋がった関係ですが、中身が中身だけにそのうち腹の探り合いのような事が起き始めます。

最初の始まりはAさんからの、あのさーもしかしてだけど、俺がいない時に陰で俺の悪口や愚痴言ってないよね?でした。

僕は一瞬何を言っているのだろうと思いましたが、その後何度も何度も同じことを聞いてくるAさんに怒りがこみ上げてきて半分キレ気味に文句をいった所、そこから関係がぎくしゃくし始めました。

実際そこからお互い陰で別の同僚に僕はAさんへの愚痴、Aさんは僕への愚痴を言うようになりました。この時自分がどんどん嫌な人間になりつつあることに気づいていましたが、Aさんが悪いんだから原因はアイツだと考えて辞める事はしませんでした。

ある意味でストレスの発散にもなってたのだと思います。でも、こういうのって言えば言うほどストレスが溜まるんですよね。しかも余計な事までいうものだから、それを隠すために嘘をついたりもする。例えばこれは内緒の話なんだけど、とかイイながら、Aさんの僕にしか話していない恥ずかしい話とかを別の同僚かに言ってしまうんです。

すると、自分で言っておきながら、もしあの同僚がAさんにこの事を言ってしまったらどうしようと不安なるわけです。そして、やっぱり言わなければ良かったなどと後悔する。とてもみじめな器の小さい事を考えている自分がますます情けなくるわけです。

そこでそんな不安をかき消すために、今度は職場だけの愚痴に収まらず、2ちゃんねるなどの掲示板に訪れては同じような社会や何かに不満のある人たちが集まる場に言っては同じように愚痴や悪口を書き込んでいました。

その一方で困っている人や苦しんでいる人には優しい言葉をかけて共感してみたりと悪いことをしている罪悪感を紛らわす行動もするものの、人生が上手くいっている人や幸せそうな人に対してはやたら厳しく、時には汚い言葉でコメントを残したこともありました。

そんな時はしばらしくして冷静になると、また自己嫌悪に陥るのです。なんて僕は酷い人間なんだ。人の不幸を笑い、人の幸福をののしる。

これが僕か?僕の姿はこっちがホンモノなのか?などと自分が何者かさえ分からなくなる時もありました。

そして、僕は精神の辛さと今を見たくないために現実逃避としてギャンブルにのめり込みます。常に心には恐怖と不安がありました。

仕事を失ったらどうしよう。対人恐怖、パニック障害、過呼吸がまた起きたらどうしよう。生きていたくないという気持ちが止められなかったら等々、とにかくネガティブ全開の気持ちで毎日を過ごしていました。

ギャンブルもたまには勝ちますが、それは当然続かず負ける事の方が大半です。勝った時は精神状態は良いですが、負けた時の精神状態はそれはもう酷いとしか言いようがありません。

モノに当たり、暴言を連発し、それだけに飽き足らず自分の身体に痛みを与えたりという事もありました。また特に辛いのが生きていたくないという気持ちがとてつもなく大きくなることです。

もはや完全に依存症になって借金までしてギャンブルにのめり込んでいました。それでも辞められない自分を激しく責め続けます。もう誰か自分を終わらせてくれとそんな風に思い、ベットでのたうち回るような事も何度もありました。

それでこういう時期だからこそなんでしょうけど、自分に寄ってくる人間は同じような思考の人だったり、もっと強烈な人が来ました。平気で人を裏切ってくる人やお金を借りて逃げる人、結婚しているのに言い寄って来る女性とか、飲みに行った時にトイレに行くと言って居なくなり全部自分に支払いをさせた人等とにかく数えたらキリがないほど、不幸な気持ちを助長させるような人が僕の周りに集まってきました。

前の職場にいたら、100%出会わないであろう人達だったと思います。

そして、僕自身は、うつ病、ギャンブル依存、借金、生きていたくなくなる気持ち、恐怖不安とネガティブ要素しかない世界観。

もう希望がありませんでした。だから狙うのはいつも一攫千金。

宝くじで高額当選すれば、この終わってるような人生からきっと逃れられるとそんな事ばかり考えていました。起きるはずもない願望です。

うつ病25年、お金の甘い罠と人生の終着駅

そんな考えの僕にふさわしい出来事がついにやってきます。それが未公開株の情報でした。僕は職場のバツイチ女性からある知り合いを紹介されました。その女性には色々な相談をしていたので僕が借金をしたり、うつ病で悩んでいる事も知っていました。

だから、そんな僕を救ってあげようと知り合いの男性を紹介してくれたのでした。

その人は終始ニコニコしていて穏やかな口調。とても紳士で、丁寧にその未公開株を持っている事のメリットを教えてくれました。いや、もうメリットしかないのだと・・だから他の人には絶対言わないと約束して欲しいと言われました。そして、僕は完全に頭がお花畑になりました。

迷わず僕にもその話乗らせてくださいお願いしますと言っていました。

男性は物凄い勿体ぶりながらも、今回だけ特別を連呼して承諾してくれました。そして、持ち金がない僕は、限度額一杯のお金を消費者金融から借り、男性に渡しました。で、もうどうなったか分かりますよね?その男性とは1か月もしないうちに連絡が取れなくなりました。

職場で働いていた女性に聞いても知らないの一点張りで、3か月後にはその女性も仕事を辞めて音信不通になりました。

僕はそこでようやく騙されたと分かったのでした。もう完全に詰みです。打つ手なしです。

こんな状況とても親には言えないし、見せられない。結局終わるしかないのか。僕は翌日仕事が休みの日を見計らってある決意をしました。

その日僕は一人で深夜あてもなく車を走らせ、早朝に辿り着いたここがどこかさえ分からない地名も何も分からない山にただ登って行きました。もう戻る事はない。車にスマホも財布も全部置いて、サヨナラ・・そう思いドンドン山の奥に向かって歩いていると、なぜか登山をしていた二人の男性と会ってしまい、声をかけられました。

向こうは明らかに登山とは思えない格好の僕を見て何かを察したかのような顔をしていました。二人に促され、下山して一言すみませんという声を絞り出すのが精一杯。二人に別れを告げ、はぁー何やってるんだろと思いながらトボトボと歩いていた自分。

その後もやっぱりまだ人生を諦める事を諦めきれず駅のホームにしばらく立ってみたり、ビルの屋上から下をずっと見ていたりもしました。ですが、山で決意したものが上手くいかなかった事で僕はついに人生を辞めきれませんでした。

そして、弁護士事務所へ行き、自己破産をすることにしました。とてもやりたくない選択肢で、どんな顔で親父にあえばいいのだろうと深く悩み苦しみました。しかし、それ以上に支払いの地獄には耐えられませんでした。

前の仕事を辞めてから9年が経っていました。うつ病になってからは12年の月日が経っていました。

うつ病25年、震災と友人への想い、ギャンブル依存

そして、あの日がやってきたのです。東日本大震災。そう2011年の3月11日です。

僕の職場は海岸近くにあり、その日は夜勤明けのお昼頃に自宅に帰りました。

そして、13時頃自宅につき風呂に入った後、ご飯を食べていると突然大きな揺れがやってきました。そこからは怒涛の日々で、職場は津波の被害にあい、海岸付近に自宅があった同僚の一人は流されて亡くなりました。

かなりショッキングな出来事と皆同じような辛さや苦しさの中で生活していたので、うつ病の辛さは僕もあったのですが、何か忙しさ、あわただしさの中で気が紛れたのは確かです。

なぜかあれほど自分で人生を終わらせたいって言ってたのに、助かったって思っている自分がいてやっぱり生きていたいんだと分かりました。そして、何よりも嬉しかったのは、そんな辛い状況にある自分に支援してくれた友達がいたことです。

震災からわずか数日後に関東から車を走らせ、救援物資と当面の生活費として二人の友達からお金を渡されました。凄く凄く感激して、友達が帰った後に泣いて心の中で何度も何度もありがとうって言ったのを覚えてます。

しかし、それほどの気持ちがありながら、僕はそれからお金を溜めて返そうと何なら倍にして返そうとまで心に決めていたのにずっと返さなかったのです。返さずギャンブルに全てつぎ込んでいました。

それでまた自己嫌悪と罪悪感がやってきて、友達に心の中で謝罪し続けるのです。でも、また優先順位を忘れてギャンブルに興じるの繰り返し。僕はどうしようもない奴だ。震災で亡くなって苦しんでいる家族も多いのに、自分は助かって友達や周りの人達にも支えられて生きているのに、その恩を何一つ返せない愚か者だ。

そして、また自暴自棄になって生きていたくない気持ちの世界に入っていく。

全て自業自得なのですが、どうしても苦しさに向き合えない自分。何度も何度ももう一度やり直すと心に決めて頑張ろうとするのですが、頑張れない。どれも中途半端な人生。自分はいらない人間だと良く思っていました。

ようやく彼らにお金を返せたのはつい最近です。友達を辞めずにいてくれて本当にありがとう。そしてゴメンナサイ、申し訳なかったと謝罪しました。

すみません、また話が途中で、、戻しますね。

うつ病25年、ストレスと光の兆し、Bさんとの出会い

それから、震災からしばらくして一応元の夜間清掃の仕事に復帰することは出来たのですが、震災前に働いていた同僚の半分くらいは別の職についたり、辞めてしまったりしてたので、求人募集で新しい人が来ることになったのですが、、

ここで僕はまたかなり辛い思いをすることになりました。それは自分よりも20歳以上離れた男性が働きに来たのですがこの男性をBさんとします。僕は上司からBさんに仕事を教えてくれと言われ、引き受ける事になりました。

最初は明るく感じの良さそうな人に見えていたのですが、実際のBさんはとてつもない程他人に対しての恨みが強い人でした。何があってそのような人間になったかは分かりませんが、とにかく他人の一つ一つが許せないみたいな感覚があったのだと思います。

当然そんな人だったので、皆から嫌われてたのですが、僕はその人とタッグを組んで仕事をするしかないので、辛くても一緒にやるしかありませんでした。そして、僕自身も何度もBさんから足を引っ張られたり、策略を練られて突き落とされそうになったりしました。

笑顔で○○さんはこんなところで働いていてはだめだとか勿体ないと言われ、別の仕事を紹介されたり、自分でわざとミスをしてそれが僕のミスだと擦り付けるという事もあり、余程僕という存在が目障りなんだろうなとも思いました。

とにかくありとあらゆる手段で僕を無き者にしたいという心がひしひしとつたわってきました。それが、かなりのストレスだったので、一時は体調を崩して気持ち悪くなって洗面所で吐くと洗面所の白いシンクが真っ赤で、いわゆる吐血をしました。

トイレでも大の方をすると便器が真っ赤になっていて、ついにお迎えが来たかなとも思いました。もちろんBさんだけの問題ではなかったと思いますが、いつも人生を辞めたいという自分の言葉がついに現実になりかけていたのかもしれません。

ただ僕の中ではこのBさんに会ったことがもしかするとうつ病が治るためにはどうしても必要な存在だったとも今では思っています。それは、僕の中でこのBさんと言う人はなぜここまで人に対して恨みや優劣を持ちたがるのか?何があってこのような思考をするようになったのか、生い立ちやその後の人生経験などがとても気になったのです。

幸いBさんはとにかくおしゃべりが好きで自分語りが大好物みたいな人だったので、その理由が何となく分かる事になりました。そうなると、今度は自分のことも考え始めるわけです。

あれっ?Bさんの事は分かったけど、僕自身は何でこんなに落ちぶれて底の底まで来たんだろうと考え始めたわけですね。でも、この時はまだ分かりませんでした。ただ自分の心を探るという事はこの時からかなりするようになっていたと思います。

人間は苦しまないと本気で自分を見つめたり、見直したりしないというのはまあそういう事なのでしょうね。

しかしとはいえ、人を陥れようと考えてばかりいたBさんは、3年ほどは一緒に働いていましたが、最終的にはどうあがいても他人のせいに出来ない問題を起こして結局辞めていきました。流石に職場の人全員を敵に回すような事ばかりしていれば、誰からも助けてもらえなくなりますよね。

まあBさんがいなくなった事でストレスはかなり軽減されましたが、僕は相変わらず自分自身の心の葛藤とギャンブル依存がありました。

ただBさんのおかげもあって自分の心の動きが何となく読めるようになってきた事でした。鬱病歴も20年近くになり、気持ちが落ちてきた時の対処法が出来るようになってきたんです。

人込みに行き苦しさを感じ始めたら、少しそこから出て深呼吸をしたり、人生を辞めたい願望がやってきたら、別の楽しい事を、まあ大体ギャンブルなのですが、そういう事を考えるようにして人生を辞めたい願望の意識から自分を外すようにコントロールが出来るようになってきたのです。

長く鬱病に関わってきた特権なのかもしれません。あまり嬉しい事ではありませんが・・・ただ、それでも本当に辛い時はどうしようもなく、ただうずくまってじっと耐えてその辛さが抜けるのを待つという事もありました。

早く早くこの苦しさが無くなってくれと願いながら、そういう日は一日何も手がつかないのです。

この間僕も僕なりに、何とかしてうつ病を克服したいと思い、色々な事はやりました。うつ病は砂糖を摂らなければ治るという話を聞けば、糖質カットした食事をしてみたり、瞑想が良いと聞けば瞑想。断食で治ると聞けば断食。

リラックスできる音楽を聴く等。試したことは多くありましたが、コレだ!と思えるほどの効果は実感出来ませんでした。

僕はもうほぼ諦めていました。大体のやることはやったし、このうつ病とはこれからもずっと人生が終わるまで付き合いは続く。

つまり一生低空飛行でこの人生は終わるとそう思っていました。

うつ病25年、ついに目覚めの時!治し方が分かった!

ところがです。ところが僕が鬱病になって25年目に奇跡が訪れました。人生は悪い時もあれば、必ず良い時もあるって言いますが、本当にその時が訪れました。

僕はその日仕事が休みで朝、目覚めるとボーッとした状況の中、これまでの過去の自分が瞬間的に全て脳内で再生されるという現象が起きました。

うつ病になってからの25年間がわずか10分もしないうちに脳内で再生されたのです。とても不思議な感覚でした。

そして、僕は思わず分かった!全て分かった!と思わず声を上げてしまいました。一体何が分かったんでしょうね?まあ勿体ぶらずに話します。

ここからが僕がもっとも伝えたいメッセージです。

それはうつ病になった原因とうつ病の治し方でした。しかし、この治し方はうつ病だけではなく、全ての人の人生にとって凄く大事な方法であるともこの時分かりました。

だから僕はこの事をうつ病で悩んでいる人を始め多くの人に知ってもらいたいと思い、この記事を書いたのです。

では、これから話していきます。

僕は25年のうつ病期間いや、もっとその前からやり続けてきた事、それは心とひたすら対立してきたということです。

心に対して、僕はいつも一方的にイジメやある意味で拳で殴り続けるような事を延々と行っていたのです。

これは外面、外側で言えば、体や顔はボコボコに殴られ、全身が骨折し、さらに車にひかれ、地面に倒れているのに、それでもまだ自分をひたすら蹴り上げているようなそんな状態です。僕はこれを内面の自分、つまり心にずっとこれと同じ事をやり続けていたのです。

皆さんも僕も基本外見って気にしますよね?それは自分が直接見える部分ですし、同時に他人にも見られる部分ですからね。だから外見には気を付けるし、積極的に傷をつけるなんて行為もしないわけです。まあ自傷行為に走る人も中にはいますけど、、

でも、心はどうでしょう?心は内面ですから見えませんよね?だけど、この心こそが最も自分にとって重要な部分だったんです。

心にどんな言葉をそしてどんな思考を与えたかによって、それが自分の人生そのものになるんです。いやーこんな大事なことを僕はずっとずっと知らないで生きてきたんです。

47年間もです。だからとてつもないどん底に落ちて、それでもまだ地獄のような日々を自分自身にそして心に与え続けていたんです。

心が何度も苦しい辞めてくれってサインを出して自分自身が辛い思いをしているのに、そこに気づかずひたすら心を追い詰めるような言葉や汚い言動を吐き続けていたのです。

他人に直接言ったら確実に傷つくであろう言葉を場合によっては喧嘩やもめごとになるような言葉を自分には平気で何度も何度もぶつけていました。

とても汚いピー音が入るような言葉、妬み、恨み、優劣、悲しみ、苦しみなどありとあらゆるネガティブな言葉を心に一生懸命無我夢中になって送り込んでいたんです。

だから僕はここまで苦しんだ!人生を何度も辞めそうになったんだ!そう、ようやく気づきました。全て心の中で自分がこれまで言い続けてきた事が現実として起こっていただけだったのです。

人生を辞めたいという言葉を多く発していた結果、人生を辞めたいという現実が、実際に行動まで起こしましたよね?

お前はダメな奴だと言い続けた結果、ダメだと思う現実が、良い仕事も辞めましたよね?

しっかりと分かりやすい形で起きました。

そう全ては心と対立していたから、自分がこの苦しい現実を敢えて求めるような言葉を吐いていたんだと分かりました。

でも、ここまでどん底に突き落とされないと僕はこれに気づけなかったんだと思います。

これだけ不幸の最高点、満点レベルまで自分を追い込んで初めて逆の幸せが何であるかに気づいたのです。

だから100%!もうやる事は分かりました。僕は心と対立するのをやめ、これからは心と友達に、いや親友であり、最愛の人であると思い、心に対してかける言葉を変える事を決意しました。

普通に言ったらとても恥ずかしい言葉の数々です。でもそれでも言うと決めました。

初めは心に対し、今まで沢山傷つけて苦しめてゴメンナサイと謝罪し、許してくださいとも言いました。

それから、これまでとても辛い思いをさせて、それでもこんな僕を生かしてくれてありがとうと言いました。思わず涙が溢れてきました。沢山の感謝の言葉を心に伝えました。そう心は僕を決して恨みたいわけでも苦しめたいわけでもなかったのです。

むしろそんな自分を守ろうと一生懸命耐えてくれていたんだと思います。本当に守ってくれてありがとうって心から思えました。

つまりあなたも私も最も大事なのは最も大切なパートナーは心なんです。ここに気が付いてください。

心に否定的な言葉をぶつければぶつけるほど、自分自身がどんどん弱く小さくなります。逆に心に肯定的な言葉を与えれば与えるほど、自分自身がどんどん強く大きくなります。

とても単純な事なんですけど、これが分からないから今多くの人が苦しんでいる。そうはっきり分かりました。

そして、僕自身も47年間心の大事さに気づけなかったために本当はやりたくもなかった不幸な道をひた走ってきたのです。

心はあなたの声を全て聞いています。一言一句漏らさず聞いています。

そして、もう一つ大事なことは心はあなたへ向けた気持ちも他者へ向けた気持ちも全てあなたの事として捉えるという事です。

これがどういうことか分かりますか?

自分には良い事だけ起きて、他者は悪いことが起きて欲しいは心には通用しないということです。自分だけが幸せになり、他者は不幸でも関係ないまたは不幸になれは心が許さないのです

心はどちらの声もあなたに提供します。だから人を恨んだり憎んだりすれば、必ずそれは自分に返ってきます。それが心の第二の特性だと理解してください。心は自分か他者かは判断出来ない判断しないのです。全て自分の事として捉えます。

僕もうつ病の間、これまでの話を聞いてくださった方なら分かると思いますが、多くの人を恨んだり、妬んだり、色々な負の感情を持ちました。そして、それらは全て自分に返ってきて自分自身を人生を何度も辞めたいと思うほど苦しめました。

でも、僕たちが望むものって何ですか?目的や目標、夢はそれぞれ違いますが、ある一つの事は皆共通しています。それは自分自身の幸せです。幸せでいたいと誰もが思っているはずです。

しかし、そうならないのは心に幸せを与えない考えが沢山自分の中にあるからなのです。

優劣や妬み、罪悪感、自己否定などとにかく色々な間違った考えそして言葉を心に与えているのです。100%そう断言出来ます。なぜなら僕自身が47年間もそれをしてきたから。

間違った声を心に入れ続けてきたからこそ、無意識的に悪い行動をとってしまい僕はなんてツイてないんだと嘆くようなことを何度もしてきたのです。そして、自分自身で不幸の道へとドンドン声のままに行き続けました。

もうお腹いっぱいです。そして、これ以上やらなくていいという所まで地獄を味わいました。今までありがとう。そして、この不幸になる心へのアプローチからは永久にさよならです。

だからこれからは、一生涯において僕は心を最愛のパートナーとして扱っていくと決めました。そこに幸せがあると分かっているし、そこにしか幸せはないと確信しているからです。

教会で結婚をする新郎と新婦がいますよね?彼らは神父さんが言うあなたはパートナー対して生涯愛を誓いますか?と問いますよね?

これは実は相手ではなく、自分の心に向けるべき言葉なんですよね。もちろん相手に対して誓うのも大事ですが、自分の心に誓う事が最も真実の愛ではないでしょうか。

また教会に懺悔をしに行き、神父さんに罪を告白しますね?そして、神父さんはあなたは許されましたアーメンと言います。

ですが、これも教会や神父さんへ言うものではなく、自分の心に対して許しを請うのが最も大事なことではないでしょうか。

つまりいつも自分と自分の心は一心同体なのです。だから心に対して与えたものが全て自分へ返ってくるのです。

今見てくれているあなたも是非一度自分の心をよく観察してみてください。

あなたが普段から否定的な言葉を多く言っていたり、心の中で思っていたりすればするほど、今の現実がどうであるかはっきり理解出来るはずです。

うつ病は愛の枯渇。心に愛が不足して無くなりそうなとき、苦しみとして出た心の声がうつ病だと僕は思います。だから常に心に対し、自分の愛を向けて上げる事が自分自身の幸せや心の栄養につながります。

僕の伝えたい話は以上です。最後に言っておきますが、僕は宗教家でもありませんし、何かの団体に属してもいません。ただ25年間うつ病と関わってきただけの男です。

強制的に精神と心と長い時間向き合うということをしてきたため、精神の探求をせざるを得ない状況にあったため、このような気持ちにたどりつけたのだと思います。これを偶然とは思っていません。

もし本当に神様がいるのだとしたら、ひょっとすると僕がこの動画を作るだろうときっと分かっていて、47歳というこの地点にメッセージとして自分自身にそして僕の動画を見てくださる人へ届けるべき内容として、ある意味では言わされているような感覚さえあります。

でも、これは間違った情報ではなく、僕が歩んできてたどり着いた紛れもない真実ですので、きっと僕の話を真剣に聞いて分かってくれる人がいると思います。特に僕が歩んできたこれまでの心の動き、そして、苦しみの経験を見て、共通点があった人は必ず分かってくれると信じています。

僕は今、心に対しての言葉を変えた結果、凄く精神状態が安定していますし、何なら時には幸福感さえあります。鬱病が100%完治したかは僕も分かりませんが、少なくともパニック発作や過呼吸などの症状はもう出なくなりましたし、人生を辞めたい願望も一切出なくなりました。

今は心に対し、心からありがとうという言葉しかありません。

長々と話してしまいましたが、ここまで読んでくださった方本当にありがとうございました。

もちろんこれからも動画は投稿していく予定ですが、この話がメインであることに変わりはありません。

もしあなたがこの話を真剣に聞いてくれて良いと思ったら、出来ればこの事実を大切な人にも教えてあげて欲しいです。特にあなたがお子さんを持つ親であったなら、あなたが心に対して幸せな言葉を持ち続ける事は、同時にお子さんの今の幸せと未来への幸せの両方を与えるという事に繋がります。

決して不幸になるような思考や言葉をお子さんに与えないでください。

この言葉の意味がどれほどの事か分かっていただきたいです。

多くの人がこの動画を見て心の大事さを理解していただけると嬉しいです。

本当にありがとうございました。僕は多くの人が幸せな毎日を送れる事を願っています。

Youtubeにもこの話は僕の声で投稿しています。是非ご覧いただければ嬉しいです。

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