多くの人が自分を不幸だと思っていたりする。特に現代においては、そういった思考に陥る人がいても不思議ではない。そして、望むのは他力本願で自分の人生を何とか良いものに変わってくれないかと考えてしまう。ところがもっとも大事なのは、やはり自分自身で幸福になろうとする心という事に気が付く必要がある。なぜなら、他の人から貰った幸福では幸せにはなれないからである。
人間は自分で幸福度を変えられる生き物である。
人は何が幸福かと尋ねた時、子供であれば、その多くは親が金持ちで顔立ちも良くて、学歴もあって立派な家に住んで、海外にも行けてとまあそんなイメージをするのではないでしょうか。
また大人であれば、自分の理想とする異性と結婚をし、毎日が華やかで優雅な生活をして、仕事もお金も何もかもが順調であるという事が幸福であると思うかもしれません。
もちろんそういった生活は、理想であり、幸せなことかもしれません。ですが、多くの人がそうなれる訳ではありませんし、そうなるには努力や運など色々な事が必要になってきます。
そして、仮にその願いが叶ったとしても、本当に幸せになれるかは分かりません。なぜならば、最も大事なのは自分自身の心が幸福でなければ、真の幸せとはいかないからです。
ですが、自分の心が幸福であれば、どんな環境や生活をしていても幸せになる事は可能です。
つまり、努力や運がなかったとしても、今の状態で既に幸せになる事が出来るのです。
おそらくこういう話を聞くと、一定数の人は茶番だと思うかもしれません。こんなに貧困や底辺のような生活を毎日送っていて辛いのに、それが幸せだなんて到底思えない。
もちろん、そういった気持ちも分からないわけではありません。
人間は感謝できるものが増えれば自然と幸せになる。
でも、よーく周りを見渡してみると分かりますが、今何も食べるものがないくらいお腹が減っているでしょうか?寝たいときに寝れないくらい時間がないでしょうか?
お風呂にも入れないでしょうか。着る服も全くないでしょうか?
いや、いつの時代の話をしてるの?今の日本でそんな人ほとんどいないよとそう思われるかもしれませんが、そうです。今の時代に生きているからこそ、これが当たり前になっていますが、一昔前なら本当に考えられないくらい裕福に見えるでしょう。
時代や住んでいる国が違えば、今の貧困層と言われる人たちも、ひょっとするとかなりの贅沢な生活に見えてしまうかもしれないのです。
実際にそんな生活味わった事がないのに、底を見ろなんて言われも無理だと思う人もいるかもしれませんが、いかに今の生活が恵まれているかを真剣に考えてみると、感謝出来る事の方が多くなります。
先人たちの力で今の世界があることに感謝する。
蛇口をひねれば、飲める水が出てくる。昔は井戸だったり、国によっては不衛生な水しか飲めない場所もあります。
蛇口をひねれば、お湯が出てお風呂にはいれる。シャワーを浴びられる。昔は、窯で薪を燃やして重労働で初めて湯に浸かれた。シャワーなんてない。もっと昔なら川の水を浴びて終わり。
水一つとってもこれだけの違いがあり、料理他様々なことその全てが先人たちの知恵と汗と努力により、一つ一つの事が今の便利さとなっています。
今ある物は、昔はそのほとんどが無だったわけです。今は有として存在してるから気が付かないだけで、コレは本当に凄いことだと気が付くと視点が大きく変わります。
昔の人が今の時代に来たら、腰を抜かすほど驚くはずです。逆を言えば、今の人が昔の時代に行ったら、本当に何もないことに衝撃を受ける事でしょう。
だから私たちは、今既に幸福の中に生きていると言えます。もちろん、上と比べれば幸福じゃないと思う人も多いかもしれません。
しかし、それでもやはり先人たちの作ってきた世界の上に私たちは生きていて、幸せという権利を与えられています。
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