鳥山明氏が漫画家になったきっかけエピソードが面白い!

アニメドラゴンボールやドクタースランプあられちゃん等で有名な漫画家の鳥山明先生が亡くなったというニュースが世間をにぎわせています。漫画家として一時代を築いてきた大御所の突然の訃報に、ショックを受けた人は多いでしょう。特にドンピシャ世代からすれば、鳥山明という少年たちに大きな夢を与えてくれた漫画家は神的な存在だったとも言えます。どうか安らかに、、

鳥山明氏が漫画家になったきっかけが面白い!

ドラゴンボール的に言えば、今頃鳥山明氏は閻魔大王の下で裁きを受けていると思われます。占いおばばもいる可能性ありますね。

もちろん大きな社会貢献をされた方なので、問答無用に天国行きの切符を手にしていることでしょう。間違っても悟空のように蛇の道とかは歩かなそうです。

今中年世代の特に男性ファンからすれば、もう感謝しかない。そのような存在です。まさに偉人と言っても過言ではありません。

いずれ鳥山明記念館が出来る日も近いでしょう!

そんな鳥山明先生を思い出しながら、ネットを見ていると、面白い話が色々と出てきました。偉人面白話という奴ですね。

今日はその中から一つ取り出してみたのですが、鳥山明先生が漫画家となるきっかけがあまりにも面白くて思わず笑ってしまいました。

鳥山明先生が漫画家になったエピソードが面白い!

四コマ漫画のようなものに鳥山明先生自身が書いた漫画家を目指したエピソードが書かれており、23歳の頃会社を辞めてぶらぶらしていた頃、お金が無いので母親にお金の無心をしたら、働かない奴には1円も出さないと言われ、しぶしぶ漫画を描き始めたとの事。

当時もマンガ大賞などで優秀賞を取れば、うん十万から100万円などの賞金が出ると雑誌などに掲載されていたようで、若き日の鳥山明先生もこの広告を見て漫画家を目指したのでしょうね。

動機的には不純なところもあるし、少々浅はかな気持ちという所もありますが、鳥山明という才能はここで開花に向けて動き出したと言えます。

ですが、このエピソード実は真実のようで、また違うエピソードも存在していました。それを明かしてくれたのが、デビュー当時鳥山明先生を担当した編集者の鳥嶋和彦氏。

またこの鳥嶋和彦氏も面白い人物でナント元々は漫画否定派。嫌いだったはずの漫画の編集担当にされ、どん底な気持ちになったというエピソードがありました。

面白いですよね。かたや賞金が目的でしょうがなく漫画を描き始めた鳥山氏と漫画が嫌で嫌で仕方なかった鳥嶋氏。この二人が後に最高のタッグになろうとは本人も思いもしなかったことでしょう。

鳥山明先生が漫画家になったエピソード。鳥嶋和彦談!

鳥嶋和彦氏から語られた鳥山明先生が漫画家になったエピソードは、当時鳥山明先生はデザイナーとして仕事をしたそうなのですが、朝が弱く起きれない鳥山明先生が何度も会社の出勤時刻に間に合わず遅刻していたため、罰金として減俸をされていた模様。

そのため、有能なデザイナーとして本当はそこそこの給料がもらえるはずが、新入社員とほぼ変わらない給料でいつも金欠状態だったとの事。

それで罰金の分を埋めるために、しょうがなく漫画でも描けば賞金で補填できると考えていたようです。

つまり四コマで描かれていた話よりも、もっとぶっ飛んだエピソードだったわけで、おそらくこれは鳥山明先生の黒歴史。だからこそ、恥ずかしさもあり、とても四コマには描けなかったのかもしれませんねw

まあ遅刻罰金で給料半分近く無くなるとかは、今の時代ではあまり考えられませんが、昭和なら十分ありえた話です。

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