現状が何も変わってないのにビックリするほど幸せになってしまった

現状が何も変わってないのに、ビックリするほど幸せになってしまった!今回はそんなお話をしたいと思います。おそらく多くの人はこのタイトルを見て、はぁ?と思ったかもしれません。もしくは、元々が良い状況良い生活してただけなんじゃない?と思われるかもしれませんが、全くそんな事はなくむしろ逆です。

現状は変わらず同じままで幸せになってしまう方法

正直お花畑みたいな話だと思われるかもしれませんが、本当に幸せになってしまいます。ビックリするほど、気持ちが安らぎ時には笑顔もあふれてきます。

いや、それってただ単にこの社会に疲れてしまって、頭がおかしくなっただけなんじゃないの?と思われるかもしれませんが、全く違います。

むしろ身体は健康で心もより健康になり、毎日活力がみなぎって生きている事の喜びを感じれるようになります。

それでは、一体なぜ私が、現状は変わらず同じままで、こんな幸せを実感できる今を手に入れたかを説明していきたいと思います。

別に難しい事ではなく、誰にでも出来る方法です。その前に私がちょっと前まで、つまり過去どのような人間でどのような行動をしていたかを話していきます。

愚かなまでに常識に捉われ低空飛行が当たり前の日々

過去長い間、私は正直に愚か者だったと思います。これは、もう認めざるを得ないと言っていいでしょう。

私はこの社会の枠組みの中に入れて考えれば、中の下、いやもっと下かもしれません。つまりは、普通に考えれば生きていくのがやっとと言える生活。

裕福な人達が持っていると思われるものは、何もありません。

こうやって常にあの人はリッチで羨ましいとか、あの人はカッコよくてモテてイイ車に乗って人生勝ち組だよね。私には全く縁のない世界で、どうしてこんなに差があるのか不公平だなどと勝手に落ち込んだりもしていました。

そして、自分の位置している所は底辺だと思い、同じ境遇の人や自分よりも下の生活をしている人を見ては、小さな優越感に浸るというまさに愚かな日々を送っていました。

上を見ずに、同じか下を見て安心したいという気持ちがあったのだと思います。だから、自分と同じ境遇の人が一気に成功者になった話などは、耳に入れたくなかったし、どうせ今だけだから失敗するよなどと悪い考えすらも浮かんでいたりしました。

そうやって自分を誤魔化して、何とかその社会にしがみついて、将来の不安を抱えたまま、生きてきました。しかし、ずっとその生活を続けていたある日、ついに行き詰ってしまいました。

どうしてこんなに生きている事が辛いんだろう。涙が出るほど辛い。私は一体何のために生まれてきたんだろうと強く感じるようになりました。

一時期は、もう生きていてもしょうがないとさえ思う時もありました。ですが、これが私の人生の分岐点だったと今は思えます。

私の何がいけなかったのか?とない頭を振り絞っていろいろと考えました。生きることについても、そういった関係の本を読んだり、動画を観たりしてみました。

すると、ある時ふっとヒントというか答えに近いものが下りてきました。そして、別に今がどうなるわけでもないし、とりあえずやるだけやってみようと思い、その答えをそのまま実践してみることにしました。

幸せになれるか半信半疑のまま取り組んだ結果

最初は、かなり抵抗がありましたし、自分自身が今まで行ってきた動きを止めるわけですから、何としても新しい行動をやめさせようと脳も動いてきます。

慣れ親しんだ底辺の思考。底辺と信じて生きてきた愚かな行動の数々。不安をあおるようなTV番組やネットの動画等等。

それらから完全に離れるまでは、なかなか時間が掛かった事は確かです。

しかし、今までと同じ世界を見ていては、苦しみは無くならないと思い、人を批判したり、落ちていくような生活のドキュメンタリー番組、また暴力的なシーンや怒りなどを表現するものをとにかく極力みないようにしました。

また底辺という慣れ親しんだ文字にも、反応しないようにちょっと見たい気持ちがあっても、辛い未来を心に描いてみないように心がけました。

とにかく自分の感情がマイナスに動くようなネガティブベースの事柄を聞くのを辞める事を徹底しました。その中でも私が運が良かったのは、同じ境遇の仲間や友人が周りに一人もいなかったことです。

もし、そういった人達が周りに一人でもいたら、中々悪い思考から抜け出せないまま今も変わらない日々を送っていたかもしれません。つまり、傷のなめ合いみたいな事をせずに済んだわけです。

最初は、あまりにもポジティブすぎる本や動画を見ても、キツイし疲れるだけで精神的に落ち込んでしまったりするので、まずは心が温まったり、安らいだりする本や映画などを見て少しずつ気持ちの前向きさを引き出すようにしました。

また過去に嫌な思いをさせられた相手や憎しみのような感情も沸いてくる事があったのですが、そういった感情が出てきたときは、無理に押し込まずに、あの時は本当辛かったね。良く我慢したね自分エライよと逆に自分を褒めたり、慰める言葉を使うようにしました。

こうして毎日少しずつですが、現状は何も変わってないのに、見る視点だけを変えていったら、気持ちの変化が訪れるようになりました。その中でも一番やってよかったのは、何かに感謝する事でした。

視点を感謝に向ける事で勝手に幸せ思考に変換できる

これは、よく言われている事ですが、まさに本当でした。

最初は、正直なところ全く感謝するなんて発想はなく、ただノートに書いているだけでした。うーん、感謝?本当は全然思ってないけど、とりあえず書くだけ書くかといった感じでした。

一日3個は書くようにしていましたが、最初の頃は1個とか2個という日もありました。

しかし、感謝ノートを書き始めてしばらくすると、なぜかスラスラと今日感謝出来た事が書けるようになってきたのです。

これが習慣の恐ろしさでもあり、凄さです!脳が勝手に感謝出来る事を考え始めたため、イチイチ悩まずとも簡単に浮かんできてしまうのです。ビックリです。最初はあれだけためらって書いていたのにです。

そして、書いたものを自分で読み返してみると、確かに感謝していることだなあと思えるようになりました。これはまさに勝手に脳が幸せ思考に変換し始めていると言えます。

さらに感謝ノートには凄い効果があって、普段の生活の中で幸せになる事や感謝出来る事にアンテナが強く働き始める事です。勝手に感謝出来る事を探しているんですね。あれっ?今ありがとうって言ってるよ。

すると、今まで道端に咲いている花なんて気にも留めなかったのに、何かとても綺麗な花だなーとか澄み切った青空を見ただけで、こんな最高な空を観れただけで、100万くらいの価値あるんじゃないかとさえ思えてきてしまいます。

これまで長い間見てきた社会の枠組みや常識と言われている中から抜け出して、その世界に視点をあてずに心がホッとする思考に視点を向け始めたら、同じ世界に生きているのにこんなにも気持ちが変わるんだと改めて実感しました。

今は生きている事が本当に楽ですし、不安も全くなく、むしろ幸せな毎日です。

結論としては、苦しい視点に自分を当て続ける必要はなく、もっと気持ちが楽になる心が穏やかになり、感謝出来るように生きる事が人生をよりよく送れると分かりました。

他者を見下したり、批判したり、悪い考えを持っても、一時的には気持ちが晴れたりもするかもしれませんが、実は苦しさの無限ループに過ぎません。なぜなら、もっともっと言わないと気が済まなくなるからです。

そして、それは相手に向けているようで、本当は自分自身にも同じ言葉をぶつけているわけで、だから辛さ苦しさは永遠になくならず、むしろ倍増していくわけです。

もしあなたが、これ以上苦しんだり悩んだり、相手を憎んだりしたくないなら、生きる視点を変えましょう。最初は住み慣れた視点から離れる事が辛いかもしれません。でも、その辛さはずっとは続きません。近い未来本当に心から安心できる自分になれます。

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