高校時代、真のシコー帝と呼ばれた男の話をします。

高校時代、彼のあだ名は始皇帝でした。字はちょっと違いますが、確かに始皇帝と呼ばれていました。ちなみにクラスの中でリーダー的存在というわけでも、また生徒会長や番長のように何かを仕切る人物でもありませんでした。では、なぜ彼が始皇帝と呼ばれていたのか?それには大きな理由がありました。

高校時代、真のシコー帝と呼ばれた男の話。

彼はこのあだ名をとても気に入っていたようです。なぜなら、秦の始皇帝と言えば、中国歴史の中で偉人と呼ばれる人物であり、はじめて中国を統一したと言われる人物でもあるからです。万里の長城を建設した人としても有名ですよね。

そんな世界でも名高い人物のあだ名をつけられて嫌な人はいないでしょう。

彼は始皇帝と呼ばれるたび、自信に満ち溢れた表情で会話を交わしていました。

しかし、一番気になるのは、なぜ彼が始皇帝と呼ばれるようになったかではないでしょうか。その高校は、いわゆる男子校でした。つまり女子生徒は一人もいないのです。

教師は数人女性がいましたが、まさに暑苦しいほど男だらけの世界がそこにはありました。

女子がいない世界というのは、表現の自由がありすぎて、品のない言動もしばしば飛び交うこともあります。

そこで始皇帝らは、思春期の男子ならほぼ全員と言えるほど、圧倒的多数が通る道つまり体験することがあります。

とても素晴らしい体験に違いはないのですが、始皇帝は1日に15回もその体験をしたというのです。まさにギネス級の体験で全クラスの中でも、突き抜けた存在と言えました。

まさに真の始皇帝と呼ばれる理由がそこにはありました。

シコー帝と呼ばれた男、倒れるの巻

高校時代、誰も打ち立てる事の出来なかった金字塔を成しえた始皇帝!その彼の栄光にも、陰りが見え始める事件が起こりました。

その日は、朝学校に行くと、教室全体がいや全クラスが何やら騒がしいのです。

それは、始皇帝の友達からもたらされたニュースでした。号外なみの緊急ニュース!始皇帝倒れるの報でした。

このニュースを受け、多くの生徒が始皇帝、ひょっとして誰かに狙われたのか?偉大な彼をつけ狙う人間がいた可能性は高いなどと様々な憶測が飛び交いました。

確かに映画でも始皇帝が狙われると言う作品が存在します。

しかし、どうやらそういった事ではなかったようです。また始皇帝は無事だったとの報告もすぐにあり、皆あんどしていました。

シコー帝が倒れた理由とは?

自身が打ち立てたギネスを更新しようと、日々新たな体験に励んでいた始皇帝ですが、その日は好調で回数をどんどん重ねていました。

おーこれは、記録を塗り替えられるかも、そう思っていた矢先のことでした。心臓が急に痛み出し、脈拍も一気に上がってきました。コレは、ヤバイ!そう思った彼は、苦しい声で彼の母を呼んだそうです。

あたり一面は、彼の戦歴ともいえる物たちが香りを残して存在していましたが、そんなことを言っている余裕もなかったのでしょう。

彼はついに倒れてしまったのです。そして、救急車で運ばれることとなりました。幸いにも処置が早かったこともあり、一命をとりとめることが出来ました。

医師からは、きつくお叱りを受けたそうで、彼はその日、始皇帝の座から降りる事を決意したようです。

学校もこの報を受けて、男子校だったこともあり、女子がいないため気遣う必要性が低かったことから、全校生徒への注意喚起が行われました。

素晴らしい体験は、程々にとのことでした。

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